2024.09.09
みなさん、こんにちは!
兜LIVE!編集部です。
2018年開催の後、コロナ禍で2回の中止を経て実に6年ぶりの開催となった山王祭。兜LIVE!編集部では、山王祭の一連の祭礼のうち6/7(金)に執り行われた神幸祭(じんこうさい)と6/9(日)の下町連合渡御(とぎょ)を現地で取材し、その様子を2回に分けてお届けします。
今回は、その後編です。
山王祭とは日枝神社の伝統行事として知られるお祭りで、特定の一つのお祭りを指すのではなく、約10日間にわたって皇居周辺の都心各所で執り行われる20以上の祭礼の総称です。山王祭には「本祭」と「かげまつり」があり、本祭は2年に1度、偶数年の6月に開催されます(かげまつりは奇数年の6月)。神幸祭や下町連合渡御はそれぞれ山王祭の本祭を構成する重要な祭礼です。(神幸祭については前回のレポートをぜひご覧ください。)
山王祭は、京都の祇園祭、大阪の天満祭と並ぶ日本三大祭りの一つに数えられ、その起源は鎌倉時代に遡ります。江戸時代に入ると日枝神社は徳川家の守り神として特別に敬われるようになります。こうした背景のもと、山王祭は江戸で最も広い氏子域(神社の祭祀圏)を持ち、神田祭とともに祭礼行列が江戸城に入ることを許された天下祭となり、歴代の徳川将軍にも上覧されるという栄誉を得たのです。
山王祭は江戸の経済や文化の発展とともに拡大し、江戸後期には豪華絢爛で巨大な山車(だし)が江戸の町を華やかにパレードした記録が残っています。ところが明治維新以降、近代国家への歩みの中で電線が普及し始めると4メートル以上もの高さになる山車の巡行が都心では困難になり、次第に山車は神輿(みこし)の巡幸にとって代わられるようになっていきました。
また、戦後になると都市化の加速とともに神輿の担ぎ手が減り、各町会の神輿渡御の活気は次第に失われていくことに。2002年、そのような状況に危機感を抱いた日本橋と京橋の町会が連携して渡御を開始、2006年にはそこに茅場町が加わり「下町連合渡御」が始まりました。
さらに2008年には日本橋、京橋、茅場町、宝町、八重洲、兜町、江戸橋に、新たに八丁堀エリアが加わり、以降は下町全体が一つになって山王祭の渡御を盛り上げてきたのです。
今回6年ぶりということで、いつも以上に多くの苦労がある中で下町連合渡御の準備が進められたと聞いています。
さて、ここから6/9(日)に行われた下町連合渡御の様子をレポートしていきます。
この日、東京は朝から薄曇りで気温もそれほど上がらず、担ぎ手も観客も比較的過ごしやすい、絶好のお祭り日和といえる天気となりました。
普段の週末だと比較的静かなビジネス街の真ん中に位置する日本橋日枝神社も今日ばかりはいつもと様子が異なります。神社の境内は神輿の担ぎ手と観光客などがひしめき合うほど多く集まり、ここだけ異空間のような熱気です。
9時少し前から関係者による挨拶が始まり、渡御の安全を願い神職が祝詞を捧げお祓いを行います。その後、お囃子と掛け声、そして手拍子が響く中、境内で待機していた8基の神輿が順番に神社を出発します。この行事を「宮出し」と呼びます。狭い境内の中で、神輿が観客や灯篭などに激突しないようコントロールしながら大きくぐるりと方向転換して目の前を進んでいく様子は迫力満点です。
神輿はゆっくり時間をかけながら平成通りからさくら通りに入り、すずらん通りへ。
ここで、3基の神輿が新たに合流し、計11基に。徐々に人出も増えてきました。京橋スクエアまで進んだところで神輿ごとに一本締めを行って一旦休憩へ。担ぎ手の皆さんは午後のクライマックスに向けて休憩を取りつつ英気を養います。
正午の開始を前に祭りの舞台は中央通りへと移ります。普段は車の往来が激しい6車線の大通りが京橋から日本橋まで約1㎞にわたって全面通行止めとなり、全16基の神輿がここに集結。色とりどりの半纏(はんてん)に身を包んだ数えきれないほどの担ぎ手と観客が通りを埋め尽くし、渡御の開始を今か今かと待ちわびています。海外からの人たちの姿も沢山見られます。
東京スクエアガーデン前に設置されたステージ上には各町会の提灯がずらりと並びます。
正午になり、関係者の挨拶や神職の祝詞の後、いよいよ渡御の開始です。
今年の辰年にちなんだ龍のこども山車、そして子ども神輿が行列の先頭を進みます。「わっしょいわっしょい」と子どもたちの元気な声が響きます。
続いて、高下駄を履いた猿田彦と能面をかぶった天鈿女命(あめのうずめ)、さらに神職と巫女たちがお祓いを行いながら一歩一歩ゆっくりと前に進みます。まるで時代絵巻を見るかのような荘厳な美しさが漂います。
その後ろには、各町会の提灯を高く掲げた若者たちが中央通りの横幅いっぱいに1列になって歩きます。
16基の神輿が続きます。
今年は兜LIVE!が関係する日本橋七の部連合の神輿が先頭を飾ります。
中央通り沿いの両側の歩道では海外からの観光客を含む多くの観客がスマートフォンやカメラのシャッターを夢中になって切っています。
はち切れんばかりの笑顔の担ぎ手たちに、思わずこちらも笑顔になって精一杯の声援と手拍子を送ります。
さて、折り返し地点となる日本橋の橋中央、日本国道路元標の少し先で、宝町と本町のみなさんが、高張り提灯とよぶ提灯を掲げて各町会の神輿を出迎えます。
ここで神輿が折り返しするときに、渡御で最も盛り上がる「差し」(神輿を天に向かって高く掲げること)が行われるのです。
数百キロもの重さの神輿を、担ぎ手たちが心を一つにして高く掲げるさまは、この日のハイライトの一つ!この瞬間を写真に収めようと日本橋付近は大混雑です。
各神輿による差しがまだまだ続くなか、編集部は後ろ髪をひかれつつも一足先に祭りの次のハイライトの場となる日本橋高島屋へと向かいます。
高島屋入り口にはたくさんの提灯が下がり、お祭り気分を盛り上げます。百貨店建築として初めて国の重要文化財に指定された建造物ということで、歴史の厚みを感じさせる外観です。
エントランスホールには大きく「山王祭」と書かれた垂れ幕が高く天井から下がり、半纏が展示されています。人気の撮影スポットの一つです。
そうこうしているうちに、どんどん人が集まり、エントランスホールはまるで満員電車のような混雑ぶり!下町連合渡御では、最後に数基の神輿が順々に高島屋を表敬訪問し、渡御のフィナーレを大きく盛り上げます。
神輿は通常の高さで担いだままだとエントランスの上部にぶつかり店内に入ることができません。担ぎ手たちは腰を低く落とし、神輿を低い位置で担いで注意深く中へと進みます。
エントランスの外側と内側に集まる観客たちは、固唾を飲んで神輿が入っていく様子を見守ります。無事にエントランスの2つのガラス扉に挟まれたアプローチ部分の空間に神輿が収まった瞬間に、安堵のため息と歓声が入り混じった声が溢れます。
木頭(きがしら)の合図でここでも神輿の差しが行われ、大きな歓声が上がります。手締めが行われ、大盛り上がりのうちに下町連合神輿渡御は終了しました。
今回6年ぶりに開催された下町連合渡御は、下町らしい威勢の良さや活気とともに、久しぶりに開催されたことへの喜びがあふれていました。
山王祭はこの後17日まで「献灯祭・山王音頭と民謡大会」や「例祭」、「山王嘉祥祭」など、さまざまな行事、祭礼が行われます。担ぎ手と観客が一つになって盛り上がる山王祭は、東京に住む人だけでなく、東京以外の方も国内外を問わず是非一度は見るべきと思うくらい素晴らしいお祭りでした。
(取材・撮影:柴田幸恵)
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