2020.12.01
こんにちは!
兜LIVE!編集部です。
江戸時代から、日本橋兜町・茅場町と深いかかわりのある日本橋日枝神社。山王祭(さんのうまつり。正式名称は「日枝神社大祭」)で有名な神社ですが、そこには兜町・茅場町の地元企業や地域のみなさんの協力があってこそでした。今回は、歴史ある日枝神社とともに時代の移り変わりを感じてこられた日枝神社の権禰宜(ごんねぎ)八巻岳秀さんにお話を伺ってきました。
――日本橋日枝神社と兜町、茅場町。これまでどのような関係性で町の発展をともにしてきたのでしょうか。
歴史は古く、江戸時代にさかのぼりますが、昔ここは山王祭の神幸祭の行列がいったんお休みをする場所だったんですね。当時はお社がたくさんあり、薬師堂や焔魔堂(えんまどう)などが境内の中にいくつもありました。お相撲なんかも行っていた記録もありますが、昔は火事にも何度か遭ってるんですよね。
火事になった建物の復興には、資金を集めていたという歴史もあります。しかし1923年(大正12年)の関東大震災を機に神様を一つのお社におまつりするようになりました。境内の行事もなくなり、落ち着いてしまった経緯があるんですね。江戸時代のような活気あふれた感じに、また戻ってほしいと思います。
――祭典では、兜町・茅場町とのかかわりが欠かせない。
日枝神社は、江戸時代から町の人とかかわってきた歴史があります。東京駅よりも東側の日枝神社の氏子区域の方々と特に関りが深いです。兜町、茅場町に関しては日本橋摂社(日本橋日枝神社のこと)の隣接した氏子さんなので、祭典に関してもご協力いただいています。具体的には、6月に行われる山王祭。いろんな準備や片付け、交通整理、道路使用許可まで皆さんがいるお陰で助かっています。
――知る人ぞ知る、山王祭。どんなお祭りなのでしょうか。
日本三大祭りの一つがこの山王祭ということを、ご存じでしたでしょうか。実は、日枝神社系列のお社は全国に3700社くらいあるので“東京の山王祭”といってもすぐにピンと来る方は案外少ないんですね。
昔の日枝神社の山王祭は「山車」や「練りもの」が特徴で、その台数の多さと豪華さが特徴でした。現在の様にみんなで担ぐというお祭りではなかったですが、1台1台が高価なものでとても見応えがありました。現在でも、山王祭の時は東京の中心を20キロ余り行列になって朝から練り歩くんです。江戸時代から「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王さま」と言われてきました。現在でもこれだけ長い距離を歩くお祭りはなかなかありません。
もう一つの特徴は、「昔の江戸城(今の皇居)に入っていけるお祭り」という点ですね。江戸時代は将軍様に山車行列の豪華さをお見せするために江戸城に入っていきましたが、現在はその名残をとどめて、皇居坂下門にて駐輦祭、宮司以下神社役員が神符の献上及び、参賀を行います。
山王祭は隔年(2年に1回)開催なんですね。神田明神さんと日枝神社が交互に行います。神田さんのお祭りがある時は、日枝神社は陰(かげ)の年となり、行列は出しません。山王祭というお祭り自体はあるんですけども、神幸祭と呼ばれる行列の出るお祭りはありません。
――次回は2022年に開催予定。八巻さんからみた、山王祭の見どころは?
一番の見所は、皇居から東京駅に向かう行幸通り。よく陛下の行事の際、馬車に乗って進まれる所ですね。東京駅で皇居をバックにして写真が撮れるので、そこを通過する時の注目度はすごいです。夕方ごろになると日枝神社のほうに戻って、男坂から上がるのですが、そこでも出迎えの方がいっぱいですね。大学生から、企業の方まで400人くらいの人が「祭典を成功させよう」という思いで動くので、一世一代のお祭りみたいな感じですよね。
――コロナ禍の祭典と今後についておしえてください
残念ながら今は皆さんをお招きして祭典は行っていません。神事を神職だけで行っているという状況ですね。山王祭の神幸祭並びに氏子各町の神輿渡御祭典は中止でしたが、いい面もありました。色々と見直す時間をとることができ、次回に向けて一層盛り上げる準備をしているところです。
(2018年 山王祭日枝神社下町連合神輿渡御の様子)
2018年の山王祭神幸祭の様子
2018年の山王祭(宵宮)の様子(兜LIVE!編集部撮影)
――八巻さんが日枝神社に入社されてから20年。今と昔の変化はありますか。
近年では、御朱印帳をきっかけに参拝してくれる方、特に若い方が圧倒的に増えたことですかね。昔は御朱印帳を持ち歩いている人も殆どいなかったんです。「御朱印書いてほしい」という方が来ると、本当にうまい神職の人しか書かせてもらえなかったんですよ。今では多い時に1日に何百人という人がいらっしゃるので、神社のほうも人員を増やして体制を整えたりしていますね。
夏はいつもなら神社は静かになる時期ですが、夏休みなどを利用して御朱印を受けに来られる方が増えたので、夏にも多くの参拝の方がいらっしゃるところが、一昔前とは違うと思います。
――日枝神社の御朱印帳にはどんなストーリーがあるのでしょうか?
日本橋日枝神社の御朱印帳は赤と青の色違いの2種類。野菜の“かぶ”がオリジナルなのです。最初、証券の町だから株式の「株」、兜町の「兜」をモチーフに何か作れないかと考えていたんです。そんなことを考えているうちに、”野菜のかぶでいいんじゃないか”というところに落ち着いたんですよね。ちょっとした洒落みたいに(笑)“その人自身の株があがっていきますように”という意味が込められています。
――何をきっかけに御朱印を集める人がふえたのでしょうか?
5、6年ほど前から御朱印を広めるために、色んな雑誌の特集や作家の方が本を出したことで認知度が上がりました。メディアやネットの発達の影響も大いにあると思いますが、同時に神社仏閣に対する世間的関心も高まり、今の形があるのかなと。 #(ハッシュタグ)なんて出てきて、拡散も容易になりましたよね。一昔前のブームよりもスピード感が違うため、こちらもその速さに追いつかないことも時々あります…(笑)
かぶと兜の御朱印帳
――この町に、どんなことを期待していますか。
今現状から話すと、人の流れがあまりないんですよね。平日は、近くにお勤めの方が朝立ち寄ってお参りをされて出社し、土日は御朱印巡りでいらっしゃる方が多いです。そういった人たちの流れの循環をもっとうまく作っていきたいです。
具体的には、中央通り沿いに人が集中しているため、昭和通り沿いにもっと活気を溢れさせたいです。例えば、飲食やブティックなど買い物ができるようなエリアがもう少しできれば人の流れが変わるかなと。あとは新一万円札の渋沢栄一もここ兜町、茅場町に拠点を置いて活躍していましたから、地域の活性化につながればいいと思いますね。
――理想の町に近づくには、どんな方の協力が必要となりますか。
兜町・茅場町・八丁堀は平成通と新大橋通の道沿いの非常に歴史と由緒あるエリアなんですよね。私自身もとても誇りに思っています。今後は、新しい町づくりに向けて一丸となり、神社の祭典を中心に結束を強めつづけたいと思います。高齢化が進んでいるので、若い人が少ないのが現状ですが、周囲はマンションも建設され、新しくこの町に住んでる方々も増えてきました。お祭りや町会で一緒に活動していただけるようにご案内をしていくなど、地道な努力がこれからも必要と思っています。
歴史ある日枝神社の山王祭は、地域の人達との相互関係により、毎年素晴らしいお祭りが成り立っているのを改めて実感しました。大切な歴史を残しつつ、これからの日枝神社と日本橋地域の発展を楽しみにしています。
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