2019.10.18

第17回『日本酒を蔵元トークとテイスティングで楽しむ会』を開催しました。

こんにちは!
兜LIVE編集部です。


9月28日(土)日本橋茅場町にあるFinGATE KAYABAにて『日本酒を蔵元トークとテイスティングで楽しむ』会を開催しました。




事始めの街と呼ばれている日本橋兜町・茅場町。江戸時代には酒問屋で賑わっていたこの街で、日本各地の蔵元とともに日本酒について学び、味わい、楽しく交流しその魅力を広めるため、毎月1回の頻度でイベントを開催しています。


今回は宮城県石巻市から墨廼江酒造の澤口康紀さんをお招きして、墨廼江酒造でのお酒づくりの取り組みや魅力、それから東日本大震災の時の蔵の様子などについてお話いただきました。



◆墨廼江酒造って?


墨廼江酒造は、1845年(弘化2年)に宮城県石巻市で創業されました。
創業したのは、澤口さんのご先祖様ではなく日本橋で近江屋という商いをしていた井上家で、日本橋から石巻に移って材木問屋を始め、それから酒造業(墨廼江酒造)も始めたそうです。


澤口家は、仙台の河原町で「いずみや」という屋号で呉服問屋と酒造問屋を営んでいましたが、4代目の時に天保の飢饉や幕末といった時代背景から、石巻にやってきて穀物問屋と海産物問屋を始めました。その際に、墨廼江酒造にお米を納入していたことから墨廼江酒造との関わりができました。


その後、1863年(文久3年)蔵の近くにあったお金の造幣所が火事にあったことで、井上家の材木問屋がダメージを受けました。井上家は本業である材木問屋に集中するため、お米を納入していたご縁から澤口家に墨廼江酒造を譲り、1865年頃(慶応元年)から澤口家によるお酒造りが始まりました。
第二次世界大戦後は、昭和22年に復活し、現在に至ります。





宮城県石巻市について

石巻市は仙台〜松島を過ぎた所に位置していて、かつて石港(いしみなと)と呼ばれていた小さな漁村でした。史実では367年に記録があるそうです。


石巻の名の由来は、石巻を流れている北上川に烏帽子(えぼし)石があり、その石の周りの水が巻いていたから「巻石」と呼ばれ、それがそのまま地名になりました。


石巻が栄えたのは伊達政宗の時代で、政宗の命を受けた川村孫兵衛という方が北上川の開拓工事を行ったことで、江戸のお米の消費量の3分の1が石巻産だったというほど、お米の集積地として発展しました。


また、石巻市の沖には金華山という島があり、その周辺が親潮と黒潮が交差していることから、日本有数の港町としても発展していきます。


ちなみに、昭和35年頃には、製紙業・造船業などの二次産業も発展しました。



◆墨廼江 〜質を追求したお酒作り〜

澤口さんは、大学卒業後サラリーマンを2年経験した後に蔵に戻って来ました。最初は見よう見まねでやっていて、平成12年頃からお酒造りの陣頭指揮を執るようになりました。


5年くらい経った後に少しずつ感覚的にお酒造りが分かってくるようになりましたが、お米の質や特徴も毎年違うことから、常にお酒造り初心者という気持ちを忘れずにお酒造りを行っているそうです。


お酒造りのコンセプトは『綺麗で柔らかく気品のあるお酒造り』。
宮城県産「蔵の華」をはじめ、兵庫県産山田錦、福井県産五百万石、岡山県産雄町など、高品質で優良な酒造好適米と北上川の伏流水、宮城県酵母を使用したお酒造りを行なっています。


現在は酵母を1つに絞りお米の違いによってお酒の味が変わるような造り方をしていますが、令和では、逆にお米を1つに絞り、色々な酵母を使ったお酒造りにも挑戦する予定で、色々なことに挑戦した方が社員の勉強にもなるからだそうです。




東日本大震災の時の墨廼江酒造

東日本大震災が石巻を襲った時、墨廼江酒造ではお酒造りの最後の仕上げ工程である醪(もろみ)を立てたり、瓶詰め作業を行なっていました。


1回目の揺れの時に火災を防ぐためにボイラーのボタンを落とし、社員全員を中庭に集めた時に第2波の大きな横揺れの地震が起きました。立つことができないほどの揺れだったそうです。


揺れが収まった後、江戸の末期に建てられた蔵が倒壊していないことを確認し、社員の方と一緒に点検作業を行いました。製品が冷蔵庫から飛び出して瓶が割れていたりしましたが、その時は1週間ほどで復旧できると思ったそうです。


それから30~40分後に、余震が増えてきたので、再度社員全員を集め中庭に避難していたところに津波が到来しました。中庭にお酒を入れるコンテナがあるので、そこにハシゴをかけ社員全員で屋根に登り、津波から逃れました。高さ1mほどの真っ黒な津波だったそうです。


津波は2時間ほどで引きましたが、電気や水道は2週間止まっていたので、それからは地震の情報収集をしつつガスのみで2週間過ごすことになったそうです。その間は、お酒造りができない状態で、搾ってない醪にも手をつけられない状態でした。


震災後から2週間後には電気・水道も復活し、20日後には醪を搾って、日本酒を試しに飲んでみたそうです。発酵が進んでもう飲めない状態かと思いきや少し辛口だったけどシャキシャキしてて飲める状態だったそうです。震災後冷え込んでいたので発酵が進まなかったのもありますが、日本酒の力強さを改めて認識したと澤口さんは仰っていました。


震災から翌年にはお酒造りを再開し様々な形で復興が行われましたが、東北のお酒を飲んで応援しよう!と全国の方から日本酒を買っていただいたことが、一番の後押しになったそうです。



◆利き酒と味わうお酒を愉しむ


本日は、「①墨廼江 純米吟醸 五百万石」「①墨廼江 純米吟醸 八反錦」「①墨廼江 純米吟醸 雄町」の3種類をテイスティングしました♪
今回は、酒米が違う以外は、すべてスペックが同じという難しい利酒でしたので、正解者はたった2名でした(笑)


見事正解された方には、澤口さんから、特製トートバッグのプレゼントもありました!


テイスティングの後は、味わうお酒でお持ちいただいた
・墨廼江 特別純米 生詰(ひやおろし)
・墨廼江 純米吟醸 中垂れ
・墨廼江 純米大吟醸 谷風
とおつまみも合わせて愉しみました♪




おつまみは、宮城県産の「ほやの乾燥珍味」「さんまの佃煮」「笹かまぼこ」をいただきました!どれも墨廼江に合っていて、とても美味しかったです。




最後にみなさんで記念撮影をしてイベントは終了しました!




◆まとめ

今回の『日本酒を蔵元トークとテイスティングで楽しむ』では、墨廼江酒造のお酒造りへのこだわりだけでなく、東日本大震災の時のお話や、それからどう復活したかということもお聞きすることができました。


また、今では純米酒/純米吟醸/純米大吟醸など質を追求したお酒が多いが、昔は質ではなく量を考え三増酒と呼ばれるお酒が出回ったことと、ビール・焼酎・ウィスキー・ワインなど、洋風の食文化が入って来たことから日本酒の消費量がどんどん下がっていったという日本酒の歴史についても教えていただき、とても学びになる内容でした。


昔の日本酒ってどんな味だったんだろう...と少し気になりました(笑)



墨廼江酒造


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ちなみにイベント終了後、澤口さんは大のラグビーファンということで、当日スタッフ、日本酒好きの方々と一緒に、ラグビーW杯「日本vsアイルランド」戦を観戦しながら打上げを行いました。


みなさんご存知の通り、日本の歴史的大勝利!
お酒を酌み交わしながら大盛り上がりのひとときとなりました。








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