2024.07.19
こんにちは!
兜LIVE!編集部です。
5月2日(金) 、『日本酒を蔵元トークとテイスティングで楽しむ』を開催しました。
今では国際金融都市といわれる日本橋兜町。
江戸時代には日枝神社の門前町として栄え、酒問屋で賑わっていた「日本酒の聖地」でした。
東京証券取引所において初上場時の5回の鐘撞は、五穀豊穣に因んでいるとのこと。平日は賑わうこの兜町に、休日にも人が集まってもらいたい。そんな願いから日本各地の蔵元を招き日本酒について学び、味わい、楽しく交流し、その魅力を、兜町の魅力といっしょに広め、お酒が地域と人をつなぐ場所...。そんな場所に発展するように願いを込めて、毎月1回日本酒セミナーを開催しています。
今回は、香川県観音寺市で「川鶴」を醸す川鶴酒造代表取締役社長の川人裕一郎さんをお迎えして開催しました。川人さんは2度目の登壇で、サマーピクニックにもご参加いただいています。
・今日はGWの狭間で、こんなにたくさんの方々に来ていただきまして、本当に恐縮しております。なかなか香川県のお酒というのは、首都圏の市場ではほとんど見かけることが少ないと思っていまして、そもそも香川というか四国のお酒もそんなに出回っていないと受けとめています。お酒のイメージというと、東北や北陸方面と思うのでしょうが、今日はぜひ四国香川の酒、そして川鶴の酒を少しでも知ってもらう機会になれば良いと思って資料を作成しました。現在、川鶴の蔵がどういう 状況になっているのかということをぜひ皆さんにお伝えさせていただき、お酒も知っていただきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
・自己紹介からさせていただきたいと思います。1969年1月生まれで、55歳になります。私は蔵に生まれ蔵の中で育ってきた人間ですが、うちの蔵が大嫌だったんですね。もう大嫌いで大嫌いで、もうどうしようもないくらい出ていきたかった。しかも、地元の観音寺という街ももう大嫌いで、早く都会に行きたい、東京に行きたいと思っていました。
・何が嫌いかというと、酒蔵というのは家にいる親をみて育っていきます。父の時代は、高度成⻑期で景気が良く、元気な酒蔵でした。父が外で飲んだ後はいろいろ な方を家に連れて来たので、とにかく酔っ払いをほぼ毎日見ていました。子供の頃、 父に毎回も毎回も呼び出されてはお客さんの前で頭をパシンと叩かれながら挨拶しろと言われ、もうそれが嫌で仕方なかった。今思えば、楽しいお酒の席だったのですよね(笑)
・当時は、自宅に人を呼ぶのが一つのステータスだったのでしょうか。たくさんの方々が家に寄ってきましたが、中には私の大好きな母のお尻を触っているお客様もいました。子供心にこの酔っ払いが俺の大好きな母ちゃんの尻触りやがってみたいなイメージがすごくあって、とにかくもうこんな所にはいたくないと思っていまし た。
・高校時代はクラブ活動で野球を一生懸命やっていました。高校を卒業するという時に、東京に行きたかったですが、何をしたらいいんだと思案しましたが考えがまとまらず、結局、父の手のひらに乗っていたのかのように東京農大醸造学科に進ん でいました。私は姉と妹しかいなかったので、心の中で自分が後を継がないといけないという気持ちが多分あったんだろうと思いました。農大でいろいろ勉強していくうちに、最初はすごく嫌だったですが、だんだん腹が座ってきたというか、同じ境遇の人間が全国から集まって来ていて、同期7、8人も含め酒蔵を継ぎました。 私以外にも実家が大嫌いで帰りたくないと言っていた酒蔵もいましたが、結局はそういうやつも帰ってますね(笑)
・大学4年間、本当にお酒のことを学ばさせてもらいました。お酒の勉強というよりも、他の酒蔵さんでも同じ境遇の人間がいるということを知って、すごく勇気付けられ、励みになったのを今でも記憶しています。
・卒業後、酒蔵経営は安泰で、造れば売れる時代だったので、父からすぐに帰ってこなくても良いと言われ、自分なりに何を造りたいのか考えたところ、ビールだと思い、アサヒビールに入社しました。その当時タイミングが良かったのか悪かったのか、ちょうどアサヒビールがスーパードライというバケモノみたいな新商品を出した直後だったのです。スーパードライの供給が追いつかず、流通関係者から激しくクレームが来た時代で、新入社員の私にクレーム対策要員としての白羽の矢が当たり、とにかくお客様のところに行って謝罪することが仕事となりました。その当時は広島勤務で、広島はキリンビールの牙城でシェアが70%以上、一方でアサヒビールがまだ10%程度でしたが、スーパードライが非常に売れました。キリンビールを扱ってる居酒屋さんを回るのですが、もういらんから帰れと居酒屋の大将によく怒られました。でも、しつこく行けば行くほど、やっぱり扱ってくれるようになるのです。そこで、営業の極意というものをちょっと学ばさせていただきました。 酷い飲食店さんですと、その場で瓶を落として割られて、涙目になって逃げ帰ったこともありました。でも、そういうお店ほど行けば行くほど情が出てくるんですよね。あまり関係のない話でしたが、アサヒビールに4年間お世話になりました。
・1995年、父からまだ帰らなくても良いと言われ、滝野川に醸造試験場という国税庁の研究所があり、そこに行くことになりました。入所した時期がちょうど省庁分散ということで、現在の東広島にある酒類総合研究所に移転することになっていたので、滝野川では数ヶ月、広島で2年間お酒の勉強を一生懸命させていただきました。多分この時が一番よく勉強したんではないかと思います。
・こちらには農大時代よりも多い全国の酒蔵40〜50人が集まっており、たいへん勇気付けられました。ちょうどその時の醸造試験場の仲間が今の財産、心の支えになっています。父に行かせてもらって良かったと感謝しています。 平成8年に蔵に戻り、今に至ります。
・蔵は明治24年創業で、香川県観音寺という人口5万人ぐらいの小さい町の端にあります。初代の川人清造が「水が非常に良い」ということで蔵を建てたと聞いています。
・下の写真は明治の終わりぐらいのものらしいですが、真ん中に道路があり馬車と車が描かれています。この頃、車が日本に輸入され、今から車社会になろうというその境目の時代だったみたいです。
・蔵の前の道路拡張時に、レンガが出て来たのですが、煙突なんですね。昔は煙突があったという非常に貴重な写真です。
・蔵は、現在、1千石程度で、全国的な酒蔵の規模からすると小さい蔵です。祖父と父が昭和40年頃、非常に大きな酒蔵にしました。昭和48年、課税数量がピークの9,200石強となり、1万石超になる勢いのある時代でした。そこから日本酒業界は少しずつ衰退に入っていきました。
・現在、正社員11名ですが、父の時代は50〜60名でした。
・現在の商品構成比は特定名称率70%で、そのうち純米酒が30%ですが、父の時代は特定名称率は10%もなく、ほとんどが普通酒でした。いわゆる三増酒という昔のお酒で、県内を中心に四国内で90%以上消費されていた、いわゆる普通酒 蔵でした。もっとも、私が蔵に戻り30年になりますが、普通酒がどんどん減り、 特定名称酒である本醸造酒以上のお酒が多くなっています。リキュールは3%程度で、梅酒などを製造しています。
・売上げ構成比は、県内50%、県外35%、海外15%となっています。消費先が飲食店中心ということもあり、一升瓶が45%を超えていますが、コロナの2年を経て、四合瓶(720m 瓶)が40%近くまで増加しています。
・最初のお酒が目の前に出てきましたので、お酒の説明をさせていただきます。
・定番純米酒のオオセトというお酒です。
▼「オオセト」
・元々は食米として流通していましたが、酒米に非常に向いているということが研究(分析)でわかり、現在は一般流通せずに酒蔵だけの流通となっています。
・オオセトの特徴は、力強い味わいを引き立たせるところです。どちらかというと、骨太なイメージのお酒になるのですが、切らしてシャープな感じを持たせています。 商品には表示していませんが、実は生酛造りで、今は少し冷えた状態になっていますが、これは非常に万能なお酒で常温でも美味しく飲めますし、生酛ならではの乳酸ぽさが出ていて、熱燗にすることによって非常に旨味が広がりバランスが良くなります。別の機会で飲むことがあれば、お燗をお勧めしたいと思います。
・では、飲みながら楽しくやりましょう! 乾杯!
・ルーツは徳島県の山奥にある池田町で、藍染め業を営んでいました。池田といえば、私どもの世代ですと高校野球の池田高校です。そこから、良い水があるということで観音寺に来たそうです。私は酒蔵の6代目ですが、川人家ということでは11代目になるということを教えていただきました。
・1891年に創業し、1937年に組織変更ということで、株式会社川人一治郎商店となりました。
・1945年に門司支店が空襲で全壊して、1948年に私の祖父川人一治郎が3代目から承継しまいた。この祖父がいろいろと変わったことをやった人で、1986年、納豆製造を始めました。私が高校生くらいの時です。酒造会社が納豆を製造するなんてタブーな世界で、私が蔵に戻る頃まで納豆製造をやっていました。もちろん、酒造 とは異なる場所でした。実は、祖父も父も私も納豆が大好きだったんですね。 納豆製造工場を作って地元の給食屋さんに下ろしていました。それはそれで良かったのですが、もっとすごいことは納豆リキュールというお酒を造っていました。お酒に納豆のネバネバである「ナットウキナーゼ」という酵素を混ぜたものです。私も飲みましたが、まさにネバッとしたすごい味の納豆酒でした。私が蔵に戻ってからも製造していましたが、売れなくてほとんど無償提供していました。納豆は単価が非常に安く利益が出なかったこともあり、川鶴バイオ食品株式会社を解散し、設備を全部売却しました。健康志向の今の時代だったら、薬用酒ぽい感じでいけたんじゃないかと思っています(笑)
・1991年に創業百周年を迎え、1999年、お米作りを知らないと本質的な酒造りはできないということで、私が戻った直後に米の自家栽培を社員みんなで始めました。 これまで、一部で自社精米している蔵はありましたが、精米されたお米を入荷するのが一般的で、米作りをあまり見ていなかったと思います。
・ワインの醸造家はブルワリーといってブドウ畑が後ろにあり、地域の風土、良質な素材を使うことに意義があるということを学び、酒蔵もそうあるべきだと思いました。複数の蔵とも話をしながら、はやり米を作ろうということになりました。一番難しかったのは米作り云々ということではなく、社員の意識です。なんで俺が米作りをしなければいけないのか、帰ったばかりの馬鹿社⻑の息子にこんなことをやらされないといけないのかという反発があって、めちゃめちゃしんどかったですが、 米の作り方が少しずつ浸透してきて、現場の人間も、「こういう出来具合だったら、 こういう処理をしよう」、「こういう洗米とか、こういう給水をしよう」というように作業が段々とつながっていくようになりました。これは10年ぐらいかかりましたが、やって良かったと思っています。しかも、地元の農家さんが私どもの活動に賛同してくれました。そして、川鶴がそんなことをしているのだったらということで、契約農家になってくれる農家さんが増え、現在、田野々地区の10数名の農家さんで約5町歩(15,000坪)、川鶴のために山田錦を作っていただいております。
・次のお酒は、香川県のオリーブで製造しています。
・香川県小豆島で約150 年以上も前に、日本で初めてオリーブの植樹に成功したという歴史があります。香川といえばオリーブです。エッジが効いた味になるので、アルコールを出し過ぎると非常にきつく、14°Cぐらいの少し低めのアルコール度数にしています。ちょっと甘みも残しつつ、酸味と旨味と甘味のバランスを考えて造ったお酒になります。
・これは、オオセトの55%精米の純米吟醸酒ですが、3〜4年前から製造しているお酒です。
・近年まで広島杜氏にお世話になっていましたが、2003年(平成15年)になってから但馬杜氏に変わり、翌年(2004年)、父から受け継いで社⻑になりました。その後2016年(平成28年)、社員醸造体制を確立するということで但馬杜氏に勇退していただいた後に、藤岡美樹が製造責任者に就任しました。藤岡がその翌年に辞めることとなり、私が何年か振りの製造責任者となりましたが、大変なプレッシャーで、 めちゃめちゃしんどかったです。
・そうこうしているうちに、創業130周年を迎え、2019年(令和元年)から蔵にご縁があって来てくれていた羽豆薫が製造責任者に就任しました。彼は、新潟県佐渡の北雪酒造の羽豆一族です。岐阜県の三千櫻酒造で酒造りをしていましたが、三千櫻酒造が北海道に移転する際に、蔵に来てくれました。現在、羽豆氏と一緒に一生懸命酒造りに取り組んでいまして、「NORA」という新ブランドを誕生させました。
・水質管理・排水処理・環境保全の 3点を考えたお水へのこだわりを徹底しています。使用している水は、蔵の井戸で組み上げた讃岐山脈系財田川地下伏流水で、ミネラル成分がほどよく含まれている硬度が100ほどの中硬水です。また、水質を保つために毎年井戸の掃除やケアも入念に行なっています。
・財田川の水を守る会は、香川県が 2022年3月31日に許可をした財田町に建設予定の管理型最終処分場の許可取り消しと他の適地への変更を目的として活動しています。
「財田川の水を守る会」のリンク
・計画では、財田川の僅か250mのところに、半永久的に産業廃棄物が存在することになります。また、産業廃棄物最終処分場の処理水を一日、120トン、財田川に放流することになっています。財田川の水が汚れることはあっても綺麗になることはないと考えられます。最終処分場に関して,財田川の下流には水源となる井戸が予備水源を含め計14か所あり、これらの水源からの水が山本町の樋盥(ひだらい)浄水場と観音寺市の茂木浄水場を通じて、⻄讃の広い地域に供給され、⻄讃の多くの方の命の水になっています。
・私どもは130年以上財田川と共に生きてきた酒蔵として、100 年先、200 年先の次世代に対して水が清らかで自然豊かな街を残していく責務があります。地域の方々にも期待されていると感じています。
・田野々地区は標高200mぐらいにあります。毎年、非常に良い山田錦を作っていただいているのですが、農家さんが80歳近くになっており、現在は10数名いる農家さんが 5年先、10年先には多分半分ぐらいになってしまっているのではないかと非常に危機感を持っています。
・そんな中、「田野々の星」と言われる唯一 20歳の男性がいます。将来を担うのは彼しかいない状況です。彼は「自分が全部やります」ときっぱり言ってくれてます。 彼が農業法人を立ち上げようとしており、この田野々地区の山田錦を守っていくということなので、私どもも一緒に取り組みたいと思っています。
・「さぬきよいまい」は、酒造組合、香川大学農学部、県が一体となり、オオセトと山田錦を掛け合わせ、平成18年にできたお米です。
・個人的には、北海道の「吟風」のような恰好良い名前を付けてほしかったのですが、方言(「お酒飲んで酔えよ」=「よいまい」)に因んで、県知事が「さぬきよいまい」と命名しました。
・お米の特徴は、タンパク質が少なく、粒が大きく、収穫量が多い酒米です。常に溶けやすくなっているので造り易く、オオセトのキレの良さと山田錦のふくらみのある味わいが特⻑です。
・3種類めのお酒です。
・純米吟醸米の雄町になります。この雄町は、雄町の故郷である岡山県倉敷にあるまめ農園さんが丹精込めて「特別栽培」という形で作っています。この雄町は10年近く使わせていただいています。
・このお酒も生酛造りで、令和4年度のお酒ですが、味はまだ若いですので、少し温めるといいかなと思っております。発売したばかりで、酒屋さんの方でもじっくり熟成させてから売りたいといっています。皆さん見かけたらよろしくお願いいたします。
<今回の日本酒3種類>
・酒造りのモットーは全員醸造全員営業ということで、全社員が全工程にかかわるということを一つの目標、基本コンセプトにしておりまして、でもそれだけではなく、全員が造ったものをきちんと伝えられないとダメだということで、販売市場もしっかり理解するということで取り組んでいます。社員10数名と小さい蔵ですが、 一人一人頑張っております。
・原料処理(洗米)から始まり、限定給水、甑による蒸米、蒸米掘り、麹米の放冷・ 引込み、麹菌の種切り、酛仕込み、醪仕込み、上槽(圧搾機・袋吊り)、瓶詰め(直汲み充填・ライン充填)と手作業で行います。
洗米は、10キロずつ丁寧に洗って限定給水を行います。こちらもお米の種類によって吸わす時間や給水の目標率が異なります。例えば、山田錦のような水をよく吸うお米は、6分ぐらいですが、オオセトとか「さぬきよいまい」は20分ぐらいかけます。これも経験値とデータによります。
甑(こしき)で蒸します。
ちょっと変わっているのがこの甑が蒸し終わった後に甑ごと釣り上げて2階に上げ、放冷機にかけます。父の時代の大型大量仕込みの流れに沿っているもので、今の造りでは非効率でリスクもあります。2階で蒸し米を掘る作業をします。
蒸米掘りは1日に800キロか1,000キロやります。これをほぼ毎日2時間ずっとやりますので、1シーズンに8キロぐらい痩せました。痩せたい方ははどうぞお手伝いをお願いしたいです。本当に痩せます(笑)
蒸掘りした後、麹を造るための麹部屋の中に蒸した米を手作業で10キロずつ引きい込んでいきます。
引き込んだお米を、「種切り」といって麹菌を振り付けるところですが、蒸し米を薄く広げて、右側の奥の方に蔵人がいるのですが、菌を切るというか、菌を蒔い ています。どこの蔵でも同じ作業をしますが、私どもは最大100キロから120キロぐらいを最大目安として、麹を作っております。
麹ができた後に酛仕込です。最近は、生酛、山廃に加え、水酛というものもやっています。真ん中の写真は、ボート用のオールを使って混ぜています。めちゃめちゃ使いやすいです。これで混ぜながら温度を測り、右側の酵母を追加するという流れになります。
醪の仕込みに入りまして、添えの仕込みをしているところです。大きなタンクではなく小さなタンクで仕込んでいます。添え下ろしをします。
ヤブタで上槽します。
袋吊りです。大吟醸とか純米大吟醸とか、純米酒とか普通酒でも袋吊りすることもあります。非常に手間暇もかかる作業です。
袋吊りでパタパタ押していくと、雫(しずく)だけをこのタンクの飲み口から斗瓶に集めます。これは必ず約0度の冷蔵庫に入れて、澱を下げます。出来立ての酒は、濁ってますが、それを温度が冷えている部屋で冷やすほど降りるのが早いので、できるだけ絞って 3 日以内には必ず火入れをします。
ヤブタで絞ったお酒は、この台付きの小さい充填機につないで、1本1本充填します。この機械は移動できるので非常に便利です。
本醸造など仕込みが大きい場合は基本的にライン充填で瓶詰めをします。
・限定流通 火入れ通年商品
・季節限定商品(生原酒)
12月から4月ぐらいまでの期間でしか出さないです。冬場はクール便を使わず、全部常温で出荷しています。
・契約栽培米限定商品(火入れ)
言葉遊びで、「たのののた」とは、「田野々の田んぼ」という意味です。
・さぬきオリーブ酵母 商品
オリーブ酵母で造ったお酒で、「開栓ご注意」とあるのは、シュワシュワ系で飲みやすいです。
・酛技法 特性商品
NORA は、130周年を記念して造ったお酒です。NORAの意味は、野良犬の野良です。野良犬は自然で、完全に酵母も乳酸も無添加で、昔ながらのお酒造りとなっています。大きい仕込みでは造れないので、生産量も少ないので、なかなか見かけることはないかもしれませんが、東京でも数軒の特約店に出荷していますので、ぜひ見かけたらよろしくお願いいたします。
・七寶山
新しいブランドでこれから出そうと考えています。七寶(宝)山は、実際に地元にあります。この七つの宝の山と書きますが、香川県は空海・弘法大師の生誕の地で、四国八十八ケ所を開祖した空海がこの山に七つの宝を埋めているという伝説があり ます。
・「地域創造商品」日本酒、リキュール
地元の良い素材についてお酒を通して知ってもらうということを一つの目標としています。
<いりこ酒>
「いりこ」とは、カタクチイワシで、伊吹島の漁師が獲ってすぐに湯がいて繰り返しているんですけれどもこの入り口やっぱ讃岐うどんはいりこ出汁とよく言うじゃないですか。いりこは身体に良いカルシウムがたくさん含まれていて、子供の頃はおやつで食べていました。
いりこ酒は、ヒレ酒みたいな感じで、燗酒専用65°C以上で必ず飲んでほしいです。 当初、あまり売れなかったのですが、めちゃめちゃおいしいで、冬場になったら是非試してください。でも、常温で飲むと美味しくないです(笑) 魚臭い感じで、必ず燗して飲んでください。キオスクなどで売っていますので、購入して電車に乗ってすぐ開けて飲む方がいるようです。売り場の人に購入者に対しお燗がお勧めということを徹底してもらっています。
<苺と桃のリキュール>
苺と桃は観音寺が産地です。地元では美味しいのが当たり前だとずっと思っていた のですが、地元以外の人から見ると非常に良いものと言われて初めて気付きました。 そうであれば、その良質なものをしっかりお酒に合わせて商品化しようということで苺のお酒、桃の酒を造っています。今年からリニューアルして、「ほの苺」という商品名から「ぷりぷり苺」に変更しました。非常に美味しいのですが、評判悪くあまり売れていません。夏は桃酒を販売しますが、にごり酒に桃を合わせたら、トロッとした感じで非常に美味しいです。
・讃岐クラウディ
アルコール6%のグビグビ飲める日本酒です。骨付鶏はご存知でしょうか。讃岐うどんに劣らず、骨付鶏という食文化が香川県には根付いています。丸⻲の一鶴というお店が発祥とされていますが、その丸⻲の行政からお話があったのがきっかけで誕生したお酒です。
この骨付鶏は、鶏のもも肉を鉄板で焼いてスパイスをガーッとかけて、それをガブッとかぶりつきます。すごいスパイシーでめちゃくちゃ美味しいので、ビールが非常に進みます。一鶴はサッポロビールですが、サッポロビールの営業に聞いたら全国でも三本の指に入るぐらいビールが出るそうです。行政からすれば、ビールでは なく地酒の販売促進につながらないかと考え、日本酒とマッチングできないかとい うお話をいただきました。1年間いろいろ試行錯誤した結果、たどり着いたのが白麹菌のお酒でした。日本酒は⻩麹菌ですが、白麹菌は焼酎でよく使用します。白麹菌はクエン酸をたくさん出すので、甘酸っぱいお酒ができますので、スパイスの効いた料理を綺麗に流し込んでくれるのではないかということで、行きついたのが讃岐クラウディでした。
アルコール度数を6%にした理由は、必ずロックで飲んでもらいたいと思ったからです。5%以下になると、そのまま中ジョッキで飲めてしまいますが、6%にすると中ジョッキに氷をガバッと入れてグビッと飲むと爽快です。時に、この飲み方が伝わっていない飲食店さんでは、お猪口にちょこっとクラウディを入れて出していました(笑) グビグビ飲んで喉越しを楽しむ日本酒ですと、スパイシーな料理に非常に良く合います。これは自信を持って言えます。 クラウディは東京都内でも飲めますので、見かけたらジョッキで出てくるかどうかチェックしてください。
最近はカレーライスでも非常に合わせやすいと言われますし、私が大好きなビールとジョッキに1対1で割ったら、めちゃめちゃ美味しいです。ビールはクラフ系のちょっとクセのあるビールが合います。また、最近女子に受けているのですが、トマトジュース割りも美味しいらしいです。私はトマトが大嫌いなので試せていませんが、可能性が無限大にあるお酒です。
・今日のご縁に心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
・毎回、恒例の集合写真です。オンライン参加の方もご一緒に!
川鶴酒造の行動指針です。この指針に基づいたお話をたっぷりお聴かせいただきました。どの地域においても当てはまる大切な事ですね。微力ながら(お酒を飲むことで)応援していきたいと思います。
●酒米作りを通して地元農業の発展に寄与しているか。
●酒造りを通して街の活性化、地域創生に貢献できているか。
●蔵は地域のシンボルとして存在しているか。
●商品を通して地域の食生活に潤いと活力を与えられているか。
●地域の風土・食文化と共存し、継承と創生を意識しているか。
●地域の素材・食材に寄り添う酒質となっているか。
●今の酒造りが、新たな食文化の創出のためのものでもあるか。
<イベント前には渋沢栄一翁が生涯大切にした佐渡の縁起石「赤石」にタッチして運気アップ!あ〜渋沢栄一オブジェともご一緒に(笑)>
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