2024.11.18

【蔵元トーク】#70 会津ほまれ・からはし(福島県喜多方市 ほまれ酒造)

こんにちは!
兜LIVE編集部です。


9月21日(土) 、『日本酒を蔵元トークとテイスティングで楽しむ』を開催しました。

今では国際金融都市といわれる日本橋兜町。
江戸時代には日枝神社の門前町として栄え、酒問屋で賑わっていた「日本酒の聖地」でした。
東京証券取引所において初上場時の5回の鐘撞は、五穀豊穣に因んでいるとのこと。平日は賑わうこの兜町に、休日にも人が集まってもらいたい。そんな願いから日本各地の蔵元を招き日本酒について学び、味わい、楽しく交流し、その魅力を、兜町の魅力といっしょに広め、お酒が地域と人をつなぐ場所...。そんな場所に発展するように願いを込めて、毎月1回日本酒セミナーを開催しています。


今回は、福島県喜多方市で「会津ほまれ」、「からはし」を醸すほまれ酒造代表取締役社長の唐橋裕幸さんをお迎えして開催しました。喜多方というと、ラーメンが思い浮かぶ方が多いかもしれませんが、お酒処でもあります。
唐橋さん、よろしくお願いします!


◆ ご挨拶

・ほまれ酒造の唐橋です。蔵は福島県喜多方市にあります。1973年生まれということで、現在、51歳になります。



・大学を卒業して、ワインで有名なメルシャンに就職しました。元々、メルシャンは味の素の子会社でした。味の素がサトウキビを用いて、味の素を製造するとサトウキビ糖蜜が残るのですが、それを利用して蒸留酒や合成酒を造る会社として創業しました。その後、軽井沢ウイスキー、三楽オーシャン、ピーチツリーフィズといったカクテルやワインを製造することで有名になりましたが、そこに3年ちょっと在籍していました。


・大学4年時にアメリカにサッカーワールドカップの決勝(ロサンゼルス大会)を観戦しに行って、アメリカに非常に憧れました。本当に突き抜けるような青さとか、全ての大きさ、人々の大らかさとかですね。そういうところに非常に憧れて、いつかアメリカで勉強や生活してみたいという想いがあり、26歳の時に会社を辞めて、アメリカに留学しました。全く英語が話せなかったので、まずは語学から学んで4年かけて目標であったMBAを取得し、ほまれ酒造に入社したという経緯です。


・2011年は福島が震災で非常に大変な時でしたが、その年の9月に父から社長を引き継いで今に至ります。


・今回、兜LIVE!とのご縁があったのは、妹の唐橋ユミが日経新聞に掲載する記事の対談で平和不動産株式会社土本社長とご一緒したのがきっかけでした。本日、土本社長もご参加いただいております。ありがとうございます。



・いつも皆さんにご挨拶させていただく時は、ほまれ酒造株式会社の代表並びに唐橋ユミの兄と説明させていただいております。唐橋ユミは、日曜日朝8時のTBSサンデーモーニングという番組でスポーツコーナーを担当していますので、是非観ていただければ嬉しいです。


・実は、もう一人、宙子(ひろこ)という妹がいまして、オペラを中心として唄を歌っています。蔵では、4月の最終日曜日にお祭りを開催しています。今年も3,000人ぐらいの方にご来場いただきましたが、そこで、唐橋宙子に唄ってもらう時もあります。彼女もユーチューブをやっていますので、ぜひ 観てみてください。


◆ ほまれ酒造の概要


・創業は、1918(大正7)年になります。ちょうど第一次世界大戦が終わる年で、大変な時代だったと思います。


・資本金は4,500万円で、従業員(正社員)は52名です。


・事業内容は、清酒、焼酎、リキュールの製造・販売のほか、化粧水の企画や販売も行なっています。


・代表銘柄としては、「会津ほまれ」、「からはし」、「喜多方テロワール」です。


・「会津ほまれ」の看板を日本橋界隈でもまだ見かけます。人形町の「若大将」という店で昔から取り扱っていただいています。




◆ ほまれ酒造の歴史


・社長としては5人めになるのですが、ジェネレーションということでは、4代目になります。


・曽祖父である唐橋幸作が1918(大正7)年、29歳の時に創業しました。



・曽祖父は農家の出になります。そこで、いろいろと修業して少しずつお金を貯めて、味噌や醤油作りを始めたほか、 米問屋も営んだと聞いています。


・その後、米を卸していた酒蔵さんが立ち行かなくなり、譲り受けて酒蔵を始めたというのが、歴史の始まりになります。


・唐橋幸作は「喜多方の渋沢栄一」と言われた人物で、商工会議所の創設や福祉関係の業務に携わるなど多才だったため、喜多方では有名人だったそうです。


・ほまれ酒造が少しずつ大きくなった理由ですが、地元の市場では争わず、東京など関東方面の市場が広がるだろうということで、積極的に関東に出ていったことによります。関東の酒屋さんと取引を広げどんどん石数を伸ばして、最終的には福島で一番大きな酒蔵に成長しました。


・戦時中や戦後は石数制限があったため、石数を伸ばすには、いろいろな蔵からお酒を造る権利を買い取っていったということで、M&Aの走りの人物だとも言われています。


・その当時、伏見のお酒が非常に人気で、福島の酒は全く相手にされていませんでしたので、福島のお酒を買って、灘や伏見の銘柄で売られていたという時期もあったようです。その後、喜多方や会津といった地域のお酒が見直されて、徐々に「会津ほまれ」という銘柄が有名になっていったそうです。


・「会津ほまれ」の「ほまれ」は平仮名ですが、これは、比田井天来という人が熱塩温泉に滞在した際に、書いていただいたものです。




・皆さんご存知の「白鹿」の文字を書いた方も比田井天来です。比田井天来は長野県出身で、現代書家として非常に有名な方です。


・当時は「ほまれ」のように平仮名で銘柄をつけるのは非常に珍しかったそうです。平仮名にしたのは、親しみ易くて誰にでも読めるということが非常に重要だったためです。また、戦時中に「誉」(ほまれ)という軍用タバコがあり、広く親しまれているので、それと一緒に覚えてもらえるということで、会津を冠して「会津ほまれ」としたと言われています。


◆ 蔵の全景


・蔵の敷地は結構広く、上の方に森のようなところがありますが、日本庭園になります。



・創業者の曾祖父や祖父が庭好きだったので、非常に素晴らしい庭があります。もっとも、これを維持するのは非常に大変で、庭師も高齢化でなかなか見つからないし、私も草むしりをやります。父も会長を退任して顧問になりましたが、今でも草むしりを一生懸命やっていただいています。私も多分引退したらそうしなければいけないのかと思って、ちょっと気が重いです(笑)

・庭の向こう側にある建物で、冬の写真です。非常に雪深いところだったのですが、最近はちょっと雪が少なくなっています。温暖化の波は喜多方にも来ていると感じます。



・テイスティングルームおよび売店ですが、もともと創業者の住居だったところを改装しました。ここは寝室だったところで、奥の方に行くと創業者の居間やキッチンがありました。


・先ほど申し上げましたが、アメリカに留学していた時代があり、ワインの産地で有名なナパバレーやソノマによく行きました。非常に感動とか感銘を受けて、酒蔵もワイナリーのビジネスを取り入れていかないといけないと考え、ワイナリーぽくしてみました。



・ ここは「焚火の間」という私の祖母が俳句とか短歌を一緒に作っていた部屋になります。



◆企業理念


・社長を継いだ時は、企業理念というものがありませんでした。アメリカに留学中、こういったビジョンや企業理念のようなものがある会社とない会社では、生き残れる確率がどれぐらい違うかということを統計的に学び、やはりあったほうが良いだろうと思い、企業理念を作りました。


・自分なりに、皆さんがなぜお酒を召し上がるのかということを考えてみると、多分そこには皆さん安らぎを求めているのではないか。そして、家族や友人と語り合いながら飲む。そこに喜びが生まれ、そして私たちはそこに感動を与えられるものづくりができればという想いで、この企業理念を作りました。
もう13年経過している企業理念ですが、これが我々の想いであり、お酒を飲んでくれる方に対する想いです。


◆ 喜多方市の酒蔵

・福島県内の酒蔵を赤い点で示しています。どこに酒蔵が多いのかは一目瞭然ですね。①喜多方、②会津若松、③日本松、④白河の順番になります。




・喜多方市は人口が42,000人ぐらいですが、酒蔵が11件もあります。ほまれ酒造は160年経過していますが、まだ赤ちゃんみたいなものです。300年以上経ってる蔵もあります。



・日本で一番古い蔵は茨城県で「郷の譽」を醸している須藤本家で、900年ぐらいの歴史がある非常に古い酒蔵になります。福島県では、1631(寛永8)年の清川が一番古いといわれています。


◆ 喜多方市の地図

・少し赤丸の出っ張っているところが喜多方市の市境でもあり、福島県の県境でもあります。非常に世界でも珍しい県境で、新潟県、山形県、福島県を一股で跨げる県境です。1mもないくらですが、なぜこうなったのかは、実は飯豊山があり、そこへの参道が関わっています。



・昔、新潟県の青い地区(東蒲原郡)は福島県でしたが、廃藩置県の際に、当時の規定で県庁所在地からある程度均一な距離のところまでを同一の県としたようで、青い地区(東蒲原郡)は県庁所在地である福島市から遠いため、新潟県にすることになりました。


・しかしながら、福島県喜多方市大和という地区があるのですが、そこの住人は飯豊山を神様と崇めています。男子は13歳になると白装束を着て山頂の神社まで登山するという風習がありました。参道は我々の土地だということで、裁判で20年以上争い、喜多方市に戻りました。どれだけこの飯豊山を崇めているかということがお分かりになるかと思います。


・喜多方市は、この参道と山小屋の管理をしています。私も毎年、登山して醸造祈願をするのですが、非常に険しい山ですので、1泊2日で登ります。山好きの方には非常に有名な山です。ぜひ皆さんも登っていただければと思います。非常に美しい山でもあります。


◆喜多方の地質


・赤色は花崗閃緑岩です。見ていただくと、地域の地質が非常に複雑なことがわかりますが、これによっていろいろなミネラル分が程よく含まれ、喜多方の水の特徴である超軟水になります。



・右側の山頂が高いのが飯豊山(2,105m)、左側の山頂が高いのが大日岳(2,128m)で新潟県にある山ですが、これらが飯豊連峰で非常に美しい山です。


・飯豊山からの雪解け水(伏流水)を使用してお酒を造っているので、喜多方は日本有数の酒処といっても過言ではないと思います。


◆造り

・R5BY(年和5年ブルワリーイヤー<昨年7月から本年6月まで>)では、総使用玄米795トン、白米467トン、平均精米歩合59%、総仕込本数41本、総製成数量6,000石(1石180リットル、一升瓶で百本分)になります。1石とは、大人の男性が1年間に食べるお米の量だそうで、加賀百万石ということは、百万人を養える国力があるという意味になります。


・特定名称酒とは、純米大吟醸、大吟醸、純米吟醸、純米、本醸造、特別本醸造、純米、特別純米といった普通酒以外のもののことですが、それらの割合(特定名称比率)が61%ですので、普通酒が39%になります。


・入社した頃は特定名称酒は7%しかなく、93%は普通酒でした。これではいけないということで、純米系のお酒を増やすために、必死になって酒造りを行いました。


・2種類のお酒の仕込みを行っています。大型仕込みと小仕込みです。これまで蔵元トークで造りの話は小仕込みについてかと思いますので、ここでは大型仕込みについて説明します。もともと普通酒をたくさん造ることが必要だったので、この大型仕込みが生まれたのですが、現在でも使用しています。




・米貯蔵庫に精米されたお米を運び入れます。そこからエアシューターで5階まで輸送します。そこで、1分間に約120~150キロの間で洗米します。


・その後、水とお米を分離する機械があり、お米だけにします。ここで、水を入れて浸漬という作業を行います。特定名称酒は限定給水を行ないますが、普通酒の場合は一晩付けておくことが多いです。その後、お米をベルトコンベアで移動して蒸米します。


・次に、放冷作業を行い、下のフロアにある麹を作る機械で、麹菌を振ったうえ、エアーで飛ばし、引込み・床もみ・切替しという作業を全て機械で行います。麹は1度にマックス6トン造ることができますが、現在は2トン程度で作業を行っています。


・その後、盛り・積替えという作業がありますが、手作業ですと杜氏が箱を積み替えることを全て機械が自動的にやってくれます。この装置は1979(昭和54)年に導入したという記録があります。「K.O.S製麹機」※という名前が付いていますが、この製麹機で造っている蔵は喜多方に2先あるほか、福島県内にもありますが、最初にこれを導入したのは、山形県鶴岡市で大山を醸す加藤嘉八郎商店さんです。
※発案と基本設計をした『大山』の"O"、実際に図面を引き製作に当った醸造機械メーカー「佐々木貞治商店」の"S"、製麹機の機能的な基本特許は製麹機メーカーの「ハクヨー」が所有していたため、ハクヨー木谷社長の"K"を加えて、「K.O.S製麹機」と呼ばれてる。


・造った麹を醪タンク(発酵タンク)に入れてます。この発酵タンクは、最大で一升瓶で10万本分、60トン仕込みができますが、クオリティを考えて主に20トン仕込みとしています。
・20トン仕込んで、その後上槽し貯蔵タンクに行きます。上槽するヤブタも他の酒蔵とは異なり、200段と非常に大きいです。これが6台あります。この20トンや30トン仕込みを2日間で絞らなければならないので、それくらい必要になります。


(参考:小仕込みの一例)



◆主なブランド

・ブランドは3つあります。




▼「会津ほまれ」
・低価格から高付加価値までの全てを網羅しています。鑑評会向けの純米大吟醸や大吟醸も、「会津ほまれ」になります。


▼「からはし」
・地元限定で、高付加価値で製造数量もかなり少ないです。


・7年前に立ち上げたブランドです。苗字を取っても名前に恥ないようなお酒を造りたいということで、特別に地酒専門店だけの流通にしています。


・お米は「夢の香」から始まり、「山田錦」、「雄町」、そして「福乃香」で造っています。小さい造りで、その後必ず3日以内に瓶詰めしています。生のまま瓶詰めして、瓶燗火入れのうえ、マイナス5℃で出荷直前まで保管することで、高いクオリティを維持している商品になっています。なかなか全量を瓶燗火入れというわけにはいかないのですが、「からはし」に関しては全て瓶燗火入れをしています。


▼「喜多方テロワール」



・すべて喜多方産のお米で造ったお酒ということで、ブランド化しました。それぞれ、酒米、精米歩合、生か火入れかなどが異なります。


・エピソード1は喜多方産の山田錦です。このお米は、ようやくお酒として何とかなるレベルになったので、山田錦のみで造りました。エピソード2は夢の香70%精米で生、エピソード3が五百万石、エピソード4が山田錦39%精米です。


・4種類発売しましたが、そのセットを買った人だけしかもらえないグッズ(特製袋)が付いたコンプリートセットというものがあります。


・エピソード1からエピソード4というネーミングについては、周囲の反対意見がなかったわけではないですが、子供がスターウォーズが大好きだった、押し通しました(笑)


・ラベルは、自分で作ったのですが、4種類ともに喜多方市の地図を入れました。非常に気に入ってます。


◆喜多方GI取得に向けて

・喜多方で日本酒のGIを取得しようと3年前から取り組んでいます。現在、福島県でGIを取ったのは南会津だけです。


・GIを取るメリットは、他の地域で「喜多方」というブランドでお酒を造ることができなくなるので、海外に「喜多方」というブランドで輸出することができます。


・近い将来、GIを取得できると思いますので、お披露目会を開催した際は、ぜひご参加ください。


◆海外展開

・国内需要は、人口減少もあり、どんどん縮小していくことが目に見えていますので、海外事業を展開しないといけないということで、入社した13年ぐらい前から始めました。


・私が留学した際、私の妻も一緒にサンフランシスコに行き、日本食レストランでアルバイトをしていたのですが、日本に帰国してからその店に営業メールを送り、サンプルを送るなどして、現在では大きなビジネスになっています。



・カナダにある非常に有名なシェフのいるレストランで、商品説明会をしました。



・サンフランシスコのレストランです。



・この時は震災後、原発事故の関係で、飲んだ後に福島の酒だったのかと言われることが嫌だったので、まず最初に、「福島の酒ですが、大丈夫ですか」とお伺いしてからサーブしました。また、「福島のお酒ですが大丈夫ですか」とお伺いした際は、「政府が危険なものを輸入させる訳ないから、全然、大丈夫だよ」という方が多かったです。一方で、一部の方々にはマスコミにコントロールされている部分もあり、「店で使いたくない」、「飲みたくない」という方もいらっしゃいました。今はだいぶ落ち着いてきましたが、まだ中国には輸出ができないですし、風評被害を受けることもまだあります。これは、国同士のいわゆる政治絡みの案件ですので、我々としてはどうしようもないのですが、そういう現実があります。


◆今回のお酒について


・福乃香は、福島県で2番目に開発された酒米です。


・使用酵母は、福島県で開発したうつくしま夢酵母(F701)で、どちらかというと酢酸イソアミル系で、メロンとか、バナナ系の香りになります。


・福乃香は、昨年のフランスのコンクールで上位に入賞したので、「からはし」というブランドで売るのも良いと思い、今年から「かはらし」というブランドで売らせていただいています。



・夢の香は、福島県が一番最初に開発した酒米になります。


・福島県内の酒蔵は夢の香を非常によく使っていますので、現在はお米が足りないぐらいになっています。


・当初は、造り難いということであまり使われませんでしたが、価格的にもクオリティ的にも非常に良いお酒ができるということで、非常に使われるようになりました。福島県の鑑評会では、「夢の香」部門があり県知事賞をもらえます。今はなくてはならないお米になりつつあります。



・兵庫県産の山田錦100%です。


・最初のコンセプトは妖艶の会津美人を表したお酒ということで、非常にグラマラスなお酒にしようということで、香り的にも味わい的にも華やかさを大事にしようということで造ったお酒です。


・純米大吟醸でチャンピオンSAKEを取ったお酒の弟分みたいなお酒にしたいと考え、造ったものです。


・きょうかい1801号を使用しているので、カプロン酸エチルという強い吟醸香がします。


・扁平精米(真吟精米)なので、精米した後のお米がお煎餅みたいに薄っぺらになります。この精米方法では、効率よくタンパク質、脂肪が取り除け、60%精米でも50%精米ぐらいのクオリティになるといわれています。


・では乾杯!



◆新橋での「ふくしまの酒まつり」

・最後に宣伝ですが、「ふくしまの酒まつり」が新橋駅前のSL広場で開催されます。ぜひご参加いただき、福島県のお酒を召し上がっていただければと思います。毎年開催しているイベントですので、今年、ご参加できない方は、来年のこの時期に予定しておいてください。




◆最後はみんなで集合写真

・毎回、恒例の集合写真ですが、今回はKABUTO ONE1階アトリウムに鎮座している渋沢栄一翁が生涯大切にした佐渡の縁起石「赤石」で運気アップ!



◆まとめ

唐橋さんは社会人スタートがメルシャンだったのですね。そしてアメリカに留学経験もあり、これからの国内外での展開が楽しみです。ぜひ、喜多方テノワールを体感したいですね。その際、素晴らしい蔵の庭園も観賞させてもらいましょう!
唐橋さん、ありがとうございました!



<イベント前には渋沢栄一翁とツーショット!>


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