2021.05.31

【渋沢栄一・赤石フェスタ】特別セミナー「今、考える渋沢栄一翁の言葉」レポート

こんにちは、兜LIVE!編集部です。


2021年3月11日(木)FinGATE KAYABAにて、「今、考える渋沢栄一翁の言葉」が開催されましたので、その様子をレポートします。


澁澤栄一翁(以降渋沢翁)は、NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公として取り上げられ、2024年からは新一万円札の顔となる今最も話題の人物。


今回は、新型コロナウイルス感染症に伴い、会場だけでなく、オンラインでの参加も可能となりました。会場には、子どもたちや渋沢栄一翁を慕う方々にお越しいただきました。


当日の投影資料より


◆佐々木一家と渋沢家の関係

講師の佐々木勇さんは、澁澤倉庫株式会社 東京支店文書・引越担当部長。曽祖父の佐々木勇之助さんは、渋沢翁が起こした第一国立銀行の二代目頭取でした。
佐々木勇之助さんは、渋沢栄一翁の一番弟子に任命され、非常に親交深かったようです。


また、戦時中に佐々木家の自宅が空襲で焼失した際、隣に住む渋沢家の防空壕に逃げ、渋沢家の客間に身を寄せるなどの所縁もあったそうです。


◆渋沢栄一翁が伝えたかった言葉

今回のテーマである渋沢翁の言葉とは、
『夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ。』


※「夫子」とは…長者・賢者・先生などの尊称。
※「忠恕」とは…真心と思いやりがあること、忠実で同情心が厚いこと。


佐々木さんの言葉で少しわかりやすい表現に言い換えると、「人生で一番大切なのは、まごころ、思いやりである。」ということ。


なぜ、渋沢翁はこの言葉を伝えたのか。その理由とそこに至る背景についてお話いただいたので、詳しくご紹介していきたいと思います。


◆渋沢翁とは、どのような方なのか

「渋沢翁は、日本を豊かにするために生まれた人であるといっても過言ではありません。」と話す佐々木さん。


91歳で天寿を全うするまで『日本資本主義の父』として尽力し、現在も日本社会に大きな影響を与え続けています。それだけでなく、東京養育院(現:東京都健康長寿医療センター)や聖路加病院の設立など医療福祉分野においても多大な功績を残しました。

「できるだけ多くの人が、医療にかかることができるように。」と、実業家として得た財産を積極的に社会に投じ、近代日本の福祉や医療分野の基礎を育みました。
全ての人に寄り添う姿勢と人柄が素敵ですね。


また、「自分の幸せは周りの人が幸せになった時に実現する。」と考えるなど、その思想にも着目されています。


渋沢翁は、なぜそのような考えを抱いたのか、渋沢翁の人生を振り返りながら学んでいきたいと思います。


◆渋沢翁の生涯を年表で振り返る

配布していただいた「渋沢栄一記念財団ホームページ」の年表に沿ってお話していただきました。



参考:渋沢栄一記念財団ホームページ 渋沢栄一年譜


◆農家の子として生まれ、幕臣、明治新政府の官僚、そして実業家へ

渋沢翁は、どのようにして日本資本主義の父と呼ばれるようになったのかを転機となった出来事に基づいてご紹介します。


<埼玉県深谷市の農家で生まれ、商売のいろはを学ぶ>

幼少期から、農家で育ち、商売の知識を叩き込まれました。
渋沢翁の学問の師ともいわれる、従兄弟の尾高惇忠(富岡製糸場の初代場長)からは、『国史略』『日本外史』などの教えを受けました。


<尊王攘夷派から幕臣へ、そしてフランスへ渡り西洋の産業に触れる>
尊王攘夷派であった時には倒幕を企てていましたが、慶喜が将軍となったことから幕臣となりました。


※尊王攘夷とは…君主(天皇)を尊び、外敵・外国人などをしりぞけようとする考え方

※幕臣とは…幕府の長である征夷大将軍を直接の主君として仕える武士(御家人、旗本など)


徳川慶喜の弟である徳川昭武と共に、パリで行われる万国博覧会を視察した後、ヨーロッパ各国を訪問し、先進国の産業を学び大きな衝撃を受けました。

学校や工場、産婦人科など数多くの場所を訪問しましたが、特にインフラ(ガス、照明、下水道など)に関心を抱き、下水道施設へも見学に行きました。下水道施設の見学へ行ったのは、渋沢翁のみだったそうです。


当日の投影資料より


また、佐々木さんによると、渋沢翁は1日3回のコーヒータイムを楽しみにしていたそうです。

他の国の文化や新しい知識を柔軟に取り入れていく好奇心の強い方なのだと感じられますね。特に、この時代に市民生活や経済活動を下支えする下水道施設を率先して見学に行かれたことが、今の安心安全な日本のインフラをつくったといえるかもしれませんね。


<日本の近代化をめざし、実業家の道へ>

大隈重信に諭され大蔵省の役人となった渋沢翁は、日本の近代化に貢献しました。
その後、大蔵省を辞官して実業家として活躍するようになりました。


1873年、日本初となる銀行「第一国立銀行」(現在のみずほ銀行)の総監役に就任、東京株式取引所を設立など、日本橋兜町のシンボルの数々も生み出してきました。


渋沢翁は生涯で481社もの企業の創出・育成に携わり、現在もその中の186社の企業が事業を継続しています。


当日の投影資料より


<教育・社会事業にも尽力>

日本に資本主義を導入する一方、「超越的な宗教がない日本が、資本主義に入るということは、弱肉強食、利益至上主義の世界になる可能性がある」という資本主義の問題点を見抜いていました。

このことから、現在の一橋大学や日本女子大学等の設立など、当時としては珍しい女子教育支援を行いました。さらに、東京慈恵会、日本赤十字社、聖路加病院の設立にも携わりました。
特に、貧困者の救済のための東京養育院の運営には50年以上尽力されました。


◆今もなお多くの人々に読み継がれている著書『論語と算盤』

日本実業界の父である渋沢翁は、本の中でこのように説いています。


『事業活動で得られた利益は惜しみなく社会に還元する』

『自分と他者の利益を調和させる』
『利潤と道徳を調和させる』
『できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸福を与えるように行動するのが、我々の義務である』


つまり、成功は、”自分だけの力ではなく社会の支えによるもの”だと考え、

成功者は、”その成功は個人のものではなく、国家全体の利益である”と考えました。


「利己的な社会だが、新紙幣の発行や大河ドラマをきっかけに渋沢翁の理念が広まってほしい。」と佐々木さんは言います。


◆終わりに

「私たちは時々、『忠恕(思いやり・まごころ)』を忘れてしまうことがあります。毎日のように、テレビや新聞で悲しいニュースが報道されています。自分さえよければ良いといった考えを持つ人が罪を犯し、罪のない人が犠牲になる事件もあります。」

最近報道されたニュースを振り返り、佐々木さんは少し涙ぐんだ様子でお話されていました。


道徳と経済を両立させるためには、私たちは正しい人間づくりをしなくてはなりません。そのためには、以下を熱心に取り組むように心掛けることが大切です。


・知識を高めること
・品性を高めること
・物事の善悪の判断を見極める力を持つこと


また、20世紀最大の歴史家アーノルド・ジョゼフ・トインビーの語った言葉もご紹介していただきました。

『一つの国が滅びるのは戦争や経済破綻や自然破壊によってではない。国民の道徳心が失われた時である。』


つまり、『忠恕(思いやり・まごころ)』がなくなってしまったら、国が滅びてしまうということ。国が国としてあり続けるためには、人々の温かい心が必要なのです。


最後に、佐々木さんが私たちに問いかけます。
「なぜあなたは、そこにいるのですか?」


このセミナーを通じて渋沢翁の生き方・道徳心を学んだことで、「今自分にはなにができるのか?少しでも社会のためにできることは何だろう。」といったことを考えたのではないでしょうか。

私たちが想像するよりももっと、私たち一人ひとりができることはたくさんあるのではないかと思うと佐々木さんはお話になりました。



◆まとめ

新型コロナウイルスによってリモートワークが進み、新しい生活様式が生まれるなど日常が変化しつつある中で、改めて“人との関わり方”や“コミュニケーション”が問われています。

目の前にあることに必死で、周りが見えなくなってしまうこともあるかもしれません。


しかし、そのようなときは一度深呼吸をして渋沢翁の言葉を思い出してみませんか。

日本人が大切にしている感謝や思いやりで、よりよい社会を創造していきましょう。と佐々木さんは最後にお話になり、今回の特別セミナーは終了いたしました。



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