2026.06.12
2026年6月12日(金)から14日(日)に行われる山王祭を目前に控え、茅場町・兜町でも準備が進み、街全体で祭りを迎える空気が日に日に高まっています。
今回お話を伺ったのは、イエズミ印刷株式会社の代表取締役社長であり、茅場町一丁目町会の副会長を務める家住英樹さん。代々この街で商いを続け、町会活動にも深く関わってきた方です。今回は、町会活動を通じて山王祭を支えてきた歩みや、茅場町一丁目の宵宮(よいみや)の魅力、この街の歴史を次の世代へつなぐ思いについて伺いました。
——まず、御社の歴史と、この街との関わりについて教えてください。
創業は明治40年、1907年です。初代は、自分で事業を興したいという思いを持って群馬から上京し、印刷技術を学んだのち、ここ茅場町で印刷会社を立ち上げました。
当時はまだ白黒の活版印刷が主流だった時代ですが、初代は早い時期からカラーで大量印刷が可能なオフセット印刷に注目していました。国産第2号機となる機械を導入するなど、新しい印刷技術にも積極的に取り組み、茅場町という土地柄を生かして、金融関係の印刷物や企業のロゴマーク、商品ラベルなども手がけてきました。
現在は紙媒体だけでなく、映像制作やWeb制作、システム開発なども含めて、紙とデジタルそれぞれの良さを生かしながら、お客さまの“想いを伝える仕事”に取り組んでいます。
——イエズミ印刷は、家住さんで六代目になると伺いました。家住さんご自身もこの街で生まれ育ったのでしょうか。
はい、この地で生まれ育ちました。途中、戦争や震災もあり、早く亡くなってしまった代もあったそうですが、厳密に言うと、私で六代目になります。
昔は、ここの1階が工場で、2階に住んでいたんです。職住一体で、下町の長屋のような雰囲気でした。代々この地に根ざして、地域にお世話になってきました。
——町会との関わりも、自然なものだったのでしょうか。町会での役割についても教えてください。
そうですね。先代からずっと町会の仕事に関わってきましたので、自然な感じでした。父も祖父も関わっていましたし、自分も「やるんだろうな」という感覚でしたね。
今は茅場町一丁目町会の副会長として、会長の補佐をしながら、女性部や青年部とのパイプ役になることが一番の仕事だと思っています。
——今回の山王祭では、七の部連合町会の祭礼実行委員長も務めていらっしゃいます。
七の部連合町会は、茅場町一丁目、茅場町二・三丁目、兜町の三町会による連合町会です。祭礼実行委員長は三町会の持ち回りで、今回は茅場町一丁目の順番ですので、私が担当しています。
——大学を卒業してからは、すぐに家業に入られたのでしょうか。
いえ、大学を出てからは商社に就職し、しばらく海外で働いていました。父から「会社を継げ」と言われたことは一度もありませんでした。
ただ、会社のことはずっと頭に残っていました。いつかは自分がやらないと屋号を守れない気がしていたんです。日本に戻ることになったので、それを機に会社に入りました。
その時に、地域の同級生たちからも、戻ってきたなら町会だよなという感じで声がかかって、自然に町会にも関わるようになりました。
——戻ってこられた当時、町会や山王祭はどのような状況だったのでしょうか。
帰ってきた時に、青年部も2、3人しかいなくて、お祭りをやりたくてもなかなかできないような状況でした。
二・三丁目の神輿は出ているのに、一丁目は神輿が出せない状態が長く続いていたんです。その状況を知って、これは寂しいなと感じました。だからこそ、茅場町一丁目からも神輿を出そうと考えたんです。
——とはいえ、神輿を出すには、かなりの人数が必要ですよね。
そうなんです。町会のメンバーだけでは足りなかったので、この街で働いている人たちを巻き込もうと思いました。
地域の企業に声をかけて、祭りについて説明したり、半纏を用意したり、初めての方には担ぎ方を説明したりしました。そうして、18年ぶりぐらいに神輿が上がったんです。
——そうした地道な活動が、今の賑わいにつながっているのですね。
かつては、神輿の会の方々に来てもらって、神輿を上げるスタイルが多かったんです。もちろん、そうした方々の力を借りることで神輿は上がります。でも、地元の神輿は、やっぱりこの街に関わる人たちが中心になって上げたいじゃないですか。
父からも、「神輿を上げるんだったら、地元の人間だけで上げられるようにしろ」と言われていました。だから、町会やこの街で働く人たちが中心になって続けられる形をつくっていきたいと思っています。
——町会活動を続ける中で、特にうれしかった出来事はありますか。
前回のお祭りで担ぎ手として参加した方が、「次回は運営側として町会のお手伝いをしてみたいです」と声をかけてくれて、実際に今回、運営側に参加してくれることになりました。
私たちがやっていることを楽しそうだなと思ってくれて、今度は支える側でやってみたいと言ってくれた。それは本当にうれしかったです。担ぐ人が、次は支える人になる。そういう形で関わりが広がっていくのは、やっていてよかったなと思います。
——茅場町一丁目の山王祭で、一番の見どころはどこでしょうか。
やはり、金曜日の宵宮ですね。宵宮は何と言っても、美しいんです。
夕方から夜にかけて、だんだん日が落ちていく中で、お神輿についた提灯の明かりが輪郭を増して浮かび上がってくるんです。そこに、昼間の祭りとはまた違う美しさが生まれます。
——普段の茅場町とは、まったく違う雰囲気になりそうですね。
そうですね。普段はスーツ姿の人が多い茅場町の街を、半纏姿の人たちが一斉に進んでいく。街の雰囲気がガラッと変わるんです。
いつものビジネス街が祭りの街になって、神輿が通りを進んでいく様子は、見ているだけでも面白いと思います。交通量の多い永代通りや新大橋通りを、中央警察署のご協力のもとで神輿が進んでいく様子は、まさに圧巻の一言です。

2024年の様子
——平日の仕事モードの街が、お祭りモードへと切り替わっていく感じですね。
そうですね。これも茅場町一丁目らしい形だと思います。
というのも、茅場町一丁目の神輿を上げたいと思った時に、平日しか人がいなかったんです。本来は昼間に上げたいところですが、昼間はみんな働いている。そうなると、夕方しかないんですね。
そこで、宵宮でやろうという話になりました。結果的に、金曜日の夜、ビジネス街が祭り一色になるという今の形になったんです。
——宵宮は、町内巡行の意味合いが大きいのでしょうか。
はい。町の神輿は、本来、自分たちの町会内を巡るものです。そこに住んでいる人や働いている人の健康、商売繁盛を祈念しながら回るのが、本来の姿だと思っています。
だからこそ、町内を巡る宵宮をとても大切にしています。茅場町一丁目の町の祭りとして、もっと多くの人に知ってもらいたいですね。
——今年はWebでも担ぎ手を募集されていますね。
はい。反響が想像していた以上に大きく驚いています。
最初は、一般の方から担ぎ手を募集してよいものか、少し迷いもありました。それでも、茅場町の宵宮をもっと多くの人に知ってもらいたいという思いがあり、Webサイトを作ることにしました。
実際に募集してみると、神奈川や埼玉からも申し込みがありましたし、若い方や、祭りに参加したことがない方からも応募がありました。
純粋に祭りをやってみたいという方であれば、説明会に来ていただいたうえで、ぜひ一緒に担いでいただきたいと思っています。Webサイトをきっかけに茅場町を知って、一緒に担いでくださる方が増えていくのはうれしいですね。
——家住さんは、この街の変化をどのように見てこられましたか。
私が生まれた頃は高度成長期で、証券会社も多く、通りには証券会社の看板がたくさん並んでいました。証券取引所には場立ちの方がいて、昼時になるとスーツ姿の人がたくさん街へ出てきました。兜町・茅場町といえば金融の街という、とても活気のある時代でした。
でも、バブルが弾け、その後証券取引も電子化されて、人の流れは大きく変わりました。かつてに比べると、街は静かになったと思います。
——その中で、これからの街に必要なものは何だと感じていますか。
きれいなビルが建ったり、おいしい飲食店ができたりすることも、もちろん大事です。でも、それだけなら他の街でもできます。
この地域は日本橋の端に位置しているからこそ、中心部ほど大きく開発されてこなかった面もあると思います。その分、昔ながらの人のつながりや街の空気が残っている。そうした、この街でしか伝えられないものを、もっと発信していくことが大切だと思っています。
茅場町一丁目には日枝神社の摂社があり、「宮元」としての誇りがあります。父からも、「いつまでも日本橋茅場町を名乗り続けられるよう、街への感謝を忘れるな」と言われてきました。日本橋の名を冠するこの街の歴史や文化を、もっとみんなで共有し、茅場町一丁目ならではの魅力を知ってもらいたいですね。
日本橋日枝神社
——昔からこの街に関わる立場として、これからも大切に残していきたいものはありますか。
歴史を伝承できる街になるといいなと思っています。新しいことをしていく必要は当然ありますが、その前に歴史を知っておくことが大事です。歴史を伝えていくには、高齢の方もいて、中堅世代もいて、若い人もいて、子どももいる。どこか一つの世代に偏るのではなく、いろいろな世代がバランスよく活躍できる形がいいですね。
茅場町一丁目と茅場町二・三丁目は、本当に奇跡の町だと思います。もともとこの土地に住み、ここで働き、町会にも地元消防団にも同じ仲間が関わっているんです。地域のいくつもの役割を同時に担うことにより、お互いの絆が強くなり、地域をさまざまな面から支えられていると思います。都心の真ん中で、こういう形が残っているのは本当に珍しいと思います。
それから、この街には鳶頭(かしら)がいるんです。鳶頭は、祭りにはいなくてはなならない存在です。祭り支度はもちろん、木遣り(きやり)を唄い、身なりや振る舞いが洗練された粋な振る舞いは、私たちにとって憧れの存在です。地域の人たちが鳶頭を大切にし、鳶頭もまた、この街の文化やまとまりに欠かせない存在であり続けている。そういう関係が残っているところも、この街の大切な文化だと思います。鳶頭がいる街というのも、茅場町の大きな魅力の一つです。
鳶頭は、地域のために多くの役割を担いながらも、けっして前に出ることはない。その振る舞いがかっこよくて、自分もああいうふうになりたいと思います。そういう粋な文化も、この街に残っている大切なものだと思います。
——新しくこの街で働く方や訪れる方には、どのように関わってもらえたらうれしいですか。
まずは、この街を好きになってもらいたいですね。今、縁あってこの地で働いている方にも、仕事だけではなく、街の歴史や文化に少し触れてもらえたらうれしいです。
そのきっかけとして、町会を少しのぞいてもらうだけでもいいと思っています。別に、いきなり町会に入らなくてもいいんです。お祭りでも、盆踊りでも、焼き芋でも、何でもいい。ちょっと見に来てもらうだけでもいいんです。
また、イベントに参加してもらうことで、「これはどういう意味なんですか」「なぜここでやっているんですか」と自然に疑問が生まれる。そこから、街の歴史を知るきっかけになると思います。
——これから山王祭を見に来る方、町会や祭りに関心を持った方へ、伝えたいことはありますか。
あまり肩肘張らずに、気軽に参加してもらえればと思います。神輿を担いだことがない方でも、これをきっかけに祭りや街に親しんでもらえればいい。私たちも、そういう方たちをサポートしながら、祭りを開催できることへの感謝を大切にしていきたいです。
山王祭は、ただのイベントではなく、街の歴史や人のつながりを感じられる機会です。金曜日の宵宮では、いつもの茅場町とはまったく違う表情が見られると思います。ぜひ、多くの方に見に来ていただきたいですね。
(取材・文:柴田幸恵)

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