2022.06.03

【かぶかや・ヒューマン】#21「江戸消防記念会」第一区九番組組頭・山本吉則さん

こんにちは!

兜LIVE!編集部です。
 
この連載【かぶかや・ヒューマン】では、日本橋兜町・茅場町で活躍する人にフォーカスし、お話を通してこの街の魅力を発信しています。
 
今回お越しいただいたのは、一般社団法人「江戸消防記念会」所属、第一区九番組組頭・山本吉則さん。江戸町火消しの歴史と仕事、そして労働歌としての起源を持ち、東京都の無形文化財にも指定されている「江戸の鳶木遣(えどのとびきやり)」の奥深い魅力についてお話を伺ってきました。山本さんは木遣り唄の名手として知られ、後進の指導にも力を入れています。


◆半纏を着て、颯爽と町を飛び回る「鳶頭(かしら)」を中心とした「江戸町火消し」とは


――本日はお忙しい中ありがとうございます。まず「江戸町火消し」の成り立ちや歴史についてお聞かせください。


坂本町公園に隣接する兜町・茅場町まちかど展示館


享保3年(1718)、江戸で頻発する火事への対策として、南町奉行大岡越前の発令により、町人から成る「町火消組合」が誕生しました。それ以前は武家火消ししかいなかったんですね。様々な職業から成る町火消し組合の中で特に活躍したのが、高所に慣れ男気もあり、屋根の上で威勢よく纏(まとい)を振り、火に立ち向かうことのできた鳶(とび)たちです。


彼らは火災の鎮火のみならず、道路や家屋の修繕や祭礼の設営、祝い事や催事の運営なども手がけ、江戸の町になくてはならない存在として庶民から厚い信頼を得ていました。その鳶を束ねるのが「鳶頭(かしら)」と呼ばれる三役で、赤い半纏(はんてん)を着ることが許された者たちです。


江戸から明治へと時代が移り社会や制度が大きく変わると当然、消防技術も近代化していきました。火消しや鳶頭が担っていた役割が、消防・警察といった行政組織に移り変わる際、「梯子乗り」「纏振り」「木遣り」といった、江戸町火消し由来の伝統文化が消防活動と切り離されました。そして、それらを保存・継承していくことを目的として「江戸消防記念会」が発足しました。


山本さんより貴重なお写真を共有いただきました


白木屋火事。1932年(昭和7年)12月16日


――そうなんですね。今のお話しの中にも出てきた、鳶たちをまとめている鳶頭(かしら)ですが、現在はどのような活動・お仕事をされていますか?



江戸町火消しの伝統文化や技術を現在に継承するため、様々な活動を行っています。若い衆と共に、お正月の出初め式で披露される梯子乗りや纏振り、木遣りの披露、お祭りの準備として神輿を飾る建物「御仮屋」や神酒所の設営、家々の軒先に吊るす軒花提灯掛けなども行ないます。祭り当日には神輿や山車の警固や先導といった大切な仕事も担います。それから、年末年始の門松を作る事も私たちの仕事のひとつですね。もっと身近なところで言えば、地域で起こったお悩み相談などもたまに受けたりしますよ(笑)。


――人々の生活に寄り添ったお仕事をされているのですね! 鳶という特別なお仕事を志したきっかけがあれば教えてください。


これといって大きな志があったわけではないのですが、家が代々この稼業を続けていたのがきっかけとしては大きいですね。結果的に、この仕事が自分の性格にたまたま合っていたのだと思います。親が出役(半纏を着て仕事に出かけていく事)するのを幼い頃からよく見ていたこともあり、その仕事が自然と生活の一部になっていったのかな、と。高校卒業後にこの業界に入りました。



◆名手に聞く、木遣り唄の奥深い世界

昭和31年、「江戸の鳶木遣」110曲が東京都の無形文化財に指定されました。江戸消防記念会は、「江戸町火消し」の伝統文化の一つ、木遣りの保存継承も担い、各区で鳶頭の木遣り師による稽古が行われています。ここからは木遣り唄の起源、日々の稽古の様子などをお聞きしました。


――山本さんは木遣り唄の名手とお聞きしました。木遣り唄とはどういったものなのか、お伺いできますか?



「木遣り」はもともと鳶たちの労働歌です。「たこ」という道具を突き落として地固めをする「地形(じぎょう)」と呼ばれる作業の際、皆の力を一つにまとめるための掛け声や合図として唄ったのがルーツだと言われています。昼休憩の前に唄われる木遣り、メインとなる柱を作る際に唄われる木遣りなど、状況によってもどんどん変わっていきます。とてもゆっくりとした調子なので、当時の鳶たちの仕事に対する大らかさが感じられますね。


現在では主に祭礼、婚礼、上棟式、出初め式などおめでたい席で唄われることが多いです。先に行われた東京オリンピック2020の開会式でも披露させていただいたのですが、この時は事前に録音したものをモニタリングしながら唄うということをしました。普段とは間や呼吸の取り方が異なり、とても難しかったですね(笑)。


――現在では特別な時に披露される唄とのことですが、ご自身が木遣り唄を始めたきっかけを教えてください。


梯子乗りなどの稽古と並行して木遣りの稽古を始めました。お師匠さんに声をかけられて始めたのが最初で、18歳から週に一度の稽古を20年続けました。若い頃にしかできないアクロバティックな梯子乗りと違い、歳を重ねながらじっくりと磨かれていく木遣りが性に合ったのだと思いますね。


――木遣りを自分のものにする上で大切にされていたことはありますか?



技術を磨く上で稽古はもちろん大切です。でもそれ以上に、やるからには自分で唄について深く知ろうと努力する必要があります。唄を覚えることができても、それを人前で披露し感動させられる事、素晴らしいと思ってもらう事は別の問題だと思います。それは木遣りに限らず仕事とはそういうものではないでしょうか。


――独特な間の取り方が印象的な木遣り唄ですが、どのような稽古をされているのかお聞かせ願えますか?



自分が若い頃は、とにかく「俺(師匠)の口の動きを見て覚えろ」と教わりました。音程をとる事は勿論大切ですが、それ以上に大切なのが唄の間や調子を合わせる事です。「てこ棒」という道具を用いた、地固めの作業を再現した伝統的な稽古方法「棒運び」は基本であり、最も重要です。


――そのような「口伝(くでん)」による伝承は、木遣りにどのような変化をもたらしていったのでしょうか?


木遣りは口伝により継承されていくものなので、楽譜や音符はもちろん、唄い方のお手本が録音・保存されることも基本的にはありません。お師匠さんの唄い方に癖があったり、音が多少ずれていたりすると、それが「正しい木遣り」として伝わっていく事になります。そのため、同じ曲でも各区や世代で音程や節回しに違いが出てきます。しかし、それが一概に間違いであるとは言えません。そもそも正解が無いのですから。伝わり方の違いが個性となっていくことも木遣りの面白さ・奥深さだと思います。


――「真鶴」をはじめ、「地」「くさり物」「追掛け物」「手休め物」「流れ物」「端物」「大間」など8種110曲が保存されているそうですが、その中でよく唄われているものは何曲くらいあるのでしょうか。



現在唄われるものは30曲ほどですが、その中でも特に唄われるものは10曲程度でしょうか。最低でもその10曲は歌いこなせないと一人前とは言えません。最もよく唄われている木遣りは「真鶴(まなづる)」です。祝儀、不祝儀に関わらず最初の一声としてよく唄われています。「御城内」という、江戸城の中の仕事でのみ唄うことが許された木遣りもあります。品と奥ゆかしさを兼ね備えた特別な木遣りで、代々受け継がれてきた唄のひとつです。


110曲あると言いましたが、次世代に唄い伝えるには多すぎるし間に合わないと感じています。そのため、木遣りの名手によって集大成された本『木遣定本』(昭和33年、江戸消防記念館発行)を、今の時代に合わせて新しく編集していこうという動きも始まっています。


――時代により少しずつ減ってきているとの事ですが、木遣りを次の世代に遺していくためにはどうしたら良いとお考えですか?


最近になって「後世に残していかなければいけない」という想いを強くしています。今は、自分たちの持っている木遣りの半分でも残って欲しい、という考えです。なり手が不足しているという現状はありますが、志の高い人間もまだ残っています。自分たちが伝えられる限りの事は一つでも多く伝えていきたいですね。


形としてという話しになりますが、戦後になって、少しずつカセットテープやCDに唄を録音するようにもなってきました。昔はタブーだった事ですが、今後残していくことを考えた場合とても大切な事だと思います。音符はありませんが、てこ棒を使った間のとり方や息継ぎなど、木遣りにおいて大切な事を楽譜として残すようにしています。


――最後に、再開発が進んで生まれ変わろうとしている兜町・茅場町エリアですが、今後どのようになっていって欲しいとお考えですか?



昔から住んでいる方と新しく移り住んできた方との共存が、どんどん進んでいくと良いなと思いますね。それには新しく来た人達が地域に溶け込みやすい状況を、地元の人が作っていくことも必要なのかなと感じます。また、そういった取り組みやイベントを、町会や消防団が後押しできれば人と人とが結びついて、町のさらなる発展にも繋がるのではないでしょうか。


◆取材を終えて


半纏を着て颯爽と現れた山本さん。江戸っ子口調で、グッと目を見てお話しされる姿に、私も身が引き締まる思いでした。鋭い眼光を覗かせながらも、私からの素朴な疑問や質問に優しく、丁寧にお答えくださる姿も印象的でした。お忙しい中貴重な時間をありがとうございました! 江戸木遣の真髄を生で聴きたくなりました。


* 〜6月8日まで神輿はKABUTO ONE 1F アトリウムにて展示しております。


* 6月9日から12日には、茅場町1丁目神輿は証券会館前の神酒所・御仮屋にて展示。10日(金)の夜は町内渡御を行います。


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