2024.04.11
こんにちは!
兜LIVE!編集部です。
この連載【金庫巡り】では、この日本橋兜町・茅場町周辺にある古い金庫にフォーカスして、その歴史や魅力を発信していきます。第五回となる今回は、食の複合ショップとして注目を集める「BANK(バンク)」を訪れました。実はこちらの施設はその名のとおり、かつて銀行として使われており、当時の金庫が残っています。
「BANK(バンク)」のエントランス
「BANK(バンク)」とは、2022年12月15日にオープンした食の複合ショップであり、「兜町第7平和ビル」という建物に入っています。かつて同じ場所には銀行が入っており、リノベーションしてBANKが作られました。
シェフパティシエ・大山恵介氏がこだわりを持ってプロデュースした施設内には、ベーカリー、ビストロ、カフェ・バー、雑貨、フラワーショップが集まっています。かつては世界屈指の金融街であり「証券の街」と呼ばれた兜町にちなみ、配された各店舗にも「bank」「yen」「coin」など銀行やお金をイメージさせる名前が付けられているのが特徴です。
入口に立っているのは、樹齢1000年となるオリーブの木
このBANKには、かつての銀行時代をしのばせる金庫があります。
金庫は、花々に埋もれるようにして残っていました。
BANKの地下1階には、フラワーデザイナーの細川萌氏が手がけるフローラルデザインショップ「Flowers fēte(フェテ)」があります。店の奥に進んでみると、ひっそりと佇んでいたのは、まぎれもなく金庫の扉です。
造りからして、扉の内側が見えている形になります。つまり、ちょうど金庫の内部が今はフラワーショップになっているのですね。
この場所が金庫だった時代は、台車に積まれた大量の株券や債券がこの金庫扉を通って中に運び込まれ、厳重に保管されていました。現在は、証券の代わりにブーケやポプリ、アロマディフューザーが並び、空間をカラフルに彩っています。
フラワーショップの向かいには、「Coffeebar & Shop coin」があります。香り高いコーヒーやドリンクを片手に、今自分がいる場所が銀行であり、目の前のショップが金庫だった頃を想像してみるのも楽しそうですね。
この場所が銀行だった頃にお勤めされていた方に、当時のお話をうかがいました。
お話をうかがったのは、中村和徳さん。
BANKに生まれ変わる前のビルにはみずほ銀行があり、さらにその前には富士銀行兜町支店が存在していました。中村さんは、この元富士銀行兜町支店の副支店長を務められた方です。銀行統合後は「みずほコーポレート銀行兜町証券営業部参事役」も務められました。
中村さん
「実は地下の金庫だけでなく、建物の上階にはちょっと特殊な金庫があったんです。兜町支店は他の支店と異なり、一般的な支店業務のほかに、同じ建物の中に兜町証券決済業務室と呼ばれる部署がありました。その部署には特殊な金庫があって、私たちは『ロボット金庫』(通称)と呼んでいました」
「通常の金庫というものは株券以外にも現金や美術品なども保管しますが、ロボット金庫は株券を預かる専用の金庫でした。機械は立体駐車場のような仕組みで、ボタンを押して操作し、大量の株券を出し入れしていたんです」
現在の兜町第7平和ビル。かつて銀行は建物の地下〜4階にあり、上階には別のテナントが入っていた
「兜町支店では、昭和37年から海外投資家のための証券保管業務を行っており、『フジカブト』の名前で有名でした。そして、海外投資家が持っている株券の大部分をロボット金庫で保管していました。このビルが改築されたのは昭和54年ですが、おそらくその頃からロボット金庫はあったのではないかと思います」
ロボット金庫は見ることができませんが、まだ株券が電子化されずに紙で存在していた頃は、こうした特殊な機械も用いて日々の管理をしていたのですね。
中村さんには、当時の様子や実際の銀行業務についてもお話をお聞きしました。
――兜町支店はどのような場所だったんですか?
「兜町支店では東京証券取引所の決済をやっていたため、1日の取引額は兆単位でした。支店で兆という金額はなかなか見ないので、赴任した当時は驚きましたね。また、日本銀行金融ネットワークシステム(日銀ネット)もこの兜町支店にはありました。これも普通の支店には無いものです。RTGS(即時グロス決済)が導入された頃に時間単位で貸し出しの仕組みも作り、もはや銀行窓口で扱うものとは桁が違うような証券関係業務をおこなっていたんです」
「もともとこの兜町支店は特殊でした。支店の始まりは、明治27年に発足した東京株式取引所の機関銀行である帝国商業銀行です。つまり、今の東証のために作られた銀行だったんですね。東証の証券売買の清算業務をおこなう銀行は『場勘銀行』と呼ばれ、昔は小切手を切り合っていたんだと思いますが、私が赴任した頃はすでに電子決済で、何兆円というお金が動いていました」
「他にも特殊な点として、海外投資家の株券を預かるというカストディ業務(常任代理人業務)もやっていました。株券は海を渡れませんから、代理人として取引をおこなっていたわけです。国内証券会社の決済と海外投資家の決済という2つをおこなう支店は、他にはあまりないですね。兜町支店では海外投資家が保有する日本株の株券のおよそ3分の1を保管しており、『フジカブト』の名で有名でした」
――中村さんご自身は、どのようなお仕事をなさっていたのですか?
「第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行が統合してみずほが誕生する頃に勤めており、3行の統合作業をおこなっていました。統合時のシステムトラブルについても数か月かけて整備しましたね。それから、銀行内で使う言葉の定義も決め直しました。銀行によって使う言葉の意味が異なっている場合があるんです」
「金庫内の整理もおこないました。金庫内に入れる人間は限られていますので、時間をかけて必要な品や不要な資料などを選り分けていました。さすがに帝国商業銀行時代の物は出てきませんでしたが…」
「富士銀行などが合併してみずほコーポレート銀行になった後も、すべての業務をいっぺんには他に移せませんから、しばらくはこのビルの中にみずほコーポレート銀行兜町証券営業部、みずほ銀行の兜町中央支店、みずほコーポレート銀行の決済営業部という3つが存在し、業務をおこなっていました。私が居たのは4〜5年程度でしたが、思い出深いですね」
――今のBANKについてどう思われますか?
「当時の建物が残っているというのは、ありがたいことです。東証の株券売買立会場が閉場したあと、街の活気が失われるにつれて、いろいろな証券会社やお店が無くなっていき、寂しく思いましたから」
モダンな外観のビル。かつてはこの辺りにATMがあったとのこと
「証券マンたちで賑わっていた頃の兜町には多くの喫茶店があり、皆が店に集まって盛んに情報交換していました。そういう文化だったんですね。街が新しくなっても、こうしたおしゃれなカフェのように人が集まる場所があるというのは良いことだと思います」
時代の移り変わりと共に、多くの銀行も合併や経営統合でその姿を変えていきました。現在は1つの銀行が、昔は複数の別の銀行だったことを知らない人々も増えている中、今も残されている金庫は当時の様子を思い出させてくれるきっかけになり得ます。
兜町・茅場町エリアに訪れた際はぜひBANKにも訪れていただき、食事や喫茶を楽しみながら、かつて証券マンたちが溢れ活況を呈していた頃の街に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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