2024.06.09
こんにちは!
兜LIVE編集部です。
3月16日(土) 、『日本酒を蔵元トークとテイスティングで楽しむ』を開催しました。
今では国際金融都市といわれる日本橋兜町。
江戸時代には日枝神社の門前町として栄え、酒問屋で賑わっていた「日本酒の聖地」でした。
東京証券取引所において初上場時の5回の鐘撞は、五穀豊穣に因んでいるとのこと。平日は賑わうこの兜町に、休日にも人が集まってもらいたい。そんな願いから日本各地の蔵元を招き日本酒について学び、味わい、楽しく交流し、その魅力を、兜町の魅力といっしょに広め、お酒が地域と人をつなぐ場所...。そんな場所に発展するように願いを込めて、毎月1回日本酒セミナーを開催しています。
今回は、愛媛県西条市で「賀儀屋」を醸す成龍酒造常務取締役の首藤さんをお迎えして開催しました。首藤さんは2度目の登壇で、サマーピクニックにもご参加いただいています。
・10月から始まったお酒造りですが、あと2週間後の3月30日に甑倒しで、1つの区切りを迎えます。かなりロングランで、もう6か月ぐらい休みなく蔵人4名でお酒造りをしているのですが、やっとゴールが見えてきたという状況の中、久々に東京に来ました。
・東京はもう春みたいな陽気で、ポカポカしてて良いですね。今日は「故郷と酒造り」ということで、お話をしたいと思います。現在、全国に約1,400の酒蔵があると思いますが、それぞれ使うお水やお米が異なり、蔵によって地域によって味も異なるので、私たちはやはりお酒といえばそこの故郷を知ることでお酒が見えてくると思い、お酒造りをしています。
・蔵の歴史を申し上げますと、1877年創業ということで今から147年前です。明治10年、江戸時代が終わり新しい時代が始まり、先祖の首藤鹿之助という私の曽祖父のさらにその曽祖父が始めた酒蔵が今の成龍酒造の基になっています。首藤酒造場という名前でスタートしたのですが、曽祖父が40歳で亡くなり、曽祖母一人で酒蔵を切り盛りしなければならなくなり、戦争中はもうお酒造りはできない状況だったようです。戦後、日本の復興とともに酒蔵も復興しようということで、曽祖母には子供が7人いたのですが、7人を育て上げながら酒蔵を復興させました。そのときに「御代栄酒造」という名前になり、時が流れ「成龍酒造」と名前が変わりましたが、代々首藤家が酒造り
をしていました。
・お酒を造るうえで語らなければならないのは、やはり水のことです。水は軟水硬水といろいろあるのですが、私たちの地域は弱軟水になります。上の写真を見てもらったら分かると思いますが、山がドカーンとそびえ立っています。今日は愛媛県出身の方が多いのでご存じかと思いますが、これは石鎚山で1982メートルあります。西条市にある山ですが、西日本で一番大きな山になります。
・ここから降った雨や雪が長年時間をかけて地下に浸透して、私たちの街に流れ込んでその先にある瀬戸内海に流れ出ます。水が弱軟水で、水温が14°Cぐらいです。これがどれぐらい冷たいのか温かいのか分からないと思いますが、簡単にいうと、夏は冷たくて冬は温かいお水ということです。
・お酒造りではたくさんの水を使いますが、3月中は水に手を突っ込んだほうが温かいです。外気が0~5°Cぐらいでちょっと寒いくらいで作業をしていますが、そこで水を使うと手が温かくなるような感じです。一方、夏は35°Cとか40°C近くなってくると、この水を浴びるとすごく冷たくて、私たちの小さい頃、今は僕の子供達もこの水が遊び場になっていて、蔵の井戸水をホースで掛け合って遊んでいます。しかも、この水は一切お金のかからない「無料の水」です。
・水は山から百年くらいかけて湧き出てきます。降った雨とか雪が地下に浸透して町に流れ出てくるのですが、すべてお金がかからない「自然からの頂きもの」ということで大事に使わせてもらっています。やはり水に対しての感謝の度合いというのは小さい頃から祖父母からも厳しく言われていました。タダだからじゃんじゃん使っていいものではなく、逆にタダだからこそ大事に使わなければならない。特にお酒を造っている会社なので、水に関しては感謝しなさいという教えを小さい頃から受けて育ってきました。現在でも水に対しては感謝の気持ちがかなり強いです。
・水と共に生きるということが私たちの地域、蔵、家族の日常になっています。これからもずっと変わらず私たちの子供が将来大きくなって、故郷とは違う場所で生活して、帰って来たときには、おそらく同じように水を大切にしながら水と一緒に生きていくのだろうと思います。
・私にも趣味が色々ありますが、その1つが山登りです。小さい頃、街の子供達は小学校5年生になると、半ば強制的に石槌山に登らなければいけない世代でした(今も継続されているかはわかりません)。登山口から3、4時間かけて山に登り、そこから故郷を見下ろし山に感謝して下山するという体験学習がありました。
・それ以来、約10年間故郷を離れて登っていなかったのですが、26歳で蔵に戻って来たときに久々に山を見て、やはりこの景色は懐かしく、それ以降毎年必ず山に登っています。山に登って無事に降りて来れるということが健康の1つのバロメータになっています。途中はなだらかですが、最後は鎖を使いながら登るという結構険しい山です。
・上の写真が山頂です。やはり苦労はたくさんありますが、そこで見た景色は何物にも変えがたい最高のもので、やはり山登りは人生に通じるところがある、酒造りも一緒であるということを考えながら、登山を楽しんでいます。
・私は三人兄弟で、上に姉、下に弟がいます。姉と私は年子で、姉は近くに嫁いでいるのですが、私と弟は酒蔵で一緒に働いています。弟が副杜氏ということでお酒造りに携わっています。
・私は何をしているかというと、もちろんお酒造りの手伝いやラベル貼りをしていますが、こういった形で外に出て皆様にお酒の話をしたり、営業や社長である父の経営サポートをしています。
・私と弟は小さい頃から全然性格が違っていて、どちらかというと私は外に出て行くタイプ、弟は一人で黙々と作業することを好むタイプ。高校はともに普通科に進んだのですが、私は大学に進むときに経済の勉強をしたいということで県外に飛び出し、弟はお酒造りを学びたいということで東京に行き、醸造学科に入りました。そこから大きく道が分かれて、私は大学を卒業し東京に就職したのですが、実はこの茅場町に事務所があり、初めて勤務したのはこの界隈でお酒の流通に携わる仕事を約5年しました。弟は大学を卒業し、広島の酒類総合研究所でお酒造りを勉強して、2人も2006年に蔵に戻りました。同じ家に生まれた兄弟ですが、途中の成長過程が違っていたものの、今は一緒にお酒に携わる仕事をしています。
・故郷を離れたことで、気が付いたものがたくさんあり、やっぱり田舎に生まれ育つと、煌びやかな東京の生活や見たことのない華やかな生活に憧れをもっており、今でこそインターネットとかスマホとかありますが、当時何もなかったので本とか雑誌とかテレビから飛び込んでくる情報に憧れ、いつかは東京に行きたいと思い、地元を飛び出した兄弟でした。当然違う場所での生活は刺激的で楽しかったのですが、逆に田舎の良いところが見えてきたような時代だったと思います。
・蔵から車で15分のところに海があるのですが、あまりお客さんがいない海水浴場です。知人がシーカヤックとかカヌーをやっているので、たまに誘われて一緒にカヌーに乗って、海をただ漕ぐのですが、下の写真のように、やっぱり都会にないものは田舎の西条にはすべてあるのではないかというぐらい本当に自然が豊かなところです。小さい頃に気づかなかったですが、山もあり、海もあり、川もあり、こういうアクティビティもあります。
・都会には都会の良さもありますし、田舎には田舎の良さがあるので、今はこういった両方の良さを知ったうえで、お酒造りを通じて私たちの故郷の魅力や良さを美味しい味わいとともに届けていきたいという気持ちに辿り着いて、お酒造りにまい進しているところです。
・数年前にサッカーの中田選手が蔵に来てくださって、いろいろお話をさせてもらったのですが、中田さんが開口一番言われた一言がやっぱりお酒の話ではなくて町の話だったので、素直に嬉しかったです。空港から私の車で直接蔵に来たと思いますが、その道中で見た景色が非常に素晴らしいということで話がいろいろ盛り上がった記憶があります。もちろんお酒の話もしたのですが、いろいろなところを行かれている方がこの地域の景色を見て喜んでくださったということで、私たちも自信につながりました。この町でこれからも一生懸命お酒を造っていこうという気持ちにもなった一日で、「故郷が大好き」というところが私たちのお酒造りの原点と思っています。
・いろいろな土地に行っていろいろなものを見て食べて、いろいろな人と触れ合って、そのうえで故郷をさらに好きになってお酒造りをしているので、私たちはお酒を造るうえで、地元のお米にこだわる理由や地元を紹介する理由には、まずたくさんの方に故郷 を知っていただきたいということと、故郷を好きになってもらいたいということがあります。
▼伊予賀儀屋
・皆様も当社のお酒をちょっと飲んだことがある、聞いたことがあるという方はまずこの伊予賀儀屋というお酒ではないでしょうか。テーマがそれぞれあり、3つブランドを持っていますが、賀儀屋のテーマは食との相性ということです。
・今日テイスティングしていただくお酒は、賀儀屋をメインで持って来ていますが、まずその賀儀屋は何なのかという話をします。先ほど明治10年に蔵が創業したというお話をしました。実はそれまではお酒造りを業としていたのではなく、鍵を預かる「鍵屋」だったと聞いてます。
・今でいうと、「鍵屋」とは何のことかよくわからないと思いますが、江戸時代は地元に庄屋さんという大きな屋敷があり、そこに農家の方が年貢米をお納めに来るということで米蔵を持っていたそうです。そこの大事な米蔵の鍵を首藤家が代々預かっていたので、「鍵屋」ということです。そんな屋号をモチーフにできたのがこのお酒になります。
・私が生まれた頃はまだこのブランドはなかったのですが、父(現在の社長)が新しく立ち上げたブランドになります。背景としては、当時、父は精力的に海外営業をしていたのですが、うちのお酒の弱点としては、地元の郷土料理にはバッチリ合うのですが、県外とか海外に行った時にすごく創作的な料理とかソースが特徴の独特な料理には中々合わせづらいところから、食との相性を楽しめるブランドを作ってみたいということで父が立ち上げたブランドが、この伊予賀儀屋です。
・屋号を使った理由としては、食との相性とか日本酒の楽しみ方という日本酒文化の「鍵」をしっかり守っていきたいという思いを込めて命名したと聞いております。
・その立ち上げた数年前に私と弟が蔵に戻って来て、そこからまた新しいブランディングをしながら今に至っています。最初は本当に流通の仕方とか造り方とかも試行錯誤でいろいろな方のご意見を聞きながらチャレンジしましたが、1回本当に失敗したこともありましたし、大きく成功したこともありました。いろいろなことがあって今に至っており、ここでは語り尽くせないぐらい思い出がたくさんあるブランドです。今では本当にたくさんのお取引している酒販店さんにも恵まれて、たくさんの方に飲んでいただけるようなお酒になりつつあると思っているので、頑張って造っているところです。テーマは食との相性ということで、料理に寄り添うお酒を目指して造っています。
▼心の紙切り×伊予賀儀屋
・賀儀屋ブランドの中にもう一つこの切り絵シリーズというのがあります。
賀儀屋というブランドの中に、2011年東日本大震災の時に、お酒で何か私たちもメッセージを届けられないかということで立ち上げたのが「心の紙切り」シリーズです。
見てのとおり「賀儀屋」という文字はどこにも入っていないのですが、左から春夏秋冬ということで、故郷の四季を地元の切り絵作家である塩崎剛さんに作っていただいて、それを先入観なく楽しんでもらおうということで立ち上げたブランドです。
・塩崎さんは、弱視で目を使うお仕事ができないので切り絵のみで生活をされていました。何が凄いかというと、下書きを一切せずに作品を作っていきます。心に描かれたものをハサミ1本で切っていって、色紙を張って作る作品になっています。心がすごく豊かな方で心を届ける、何かそういう心に傷ついた方にお酒を飲んで穏やかになってもらいたいというシリーズとしては最適だということで立ち上げたブランドです。
・実は塩崎さんは亡くなってしまいまして、残念なお知らせを耳にした中で今日来させていただいています。私たちは塩崎さんが作ってきた切り絵の作品をいろいろな方に知ってもらうことで、塩崎さんも天国で喜んでくださるのかなと思います。これからも、良いお酒を造ってこのシリーズをしっかり届けていきたいと考えています。春夏秋冬なのでシーズン毎にしか出荷できませんが、次は5月に左から2番目の花火が出てきますので、どこかで見かけたら思い出していただき、飲んでもらえたら嬉しいです。
▼梅酒
・ちょっとお茶目な弟の写真が出てきましたが、梅酒の説明です。地元はお米もたくさん採れますが、実はフルーツや野菜もたくさん採れて、梅酒にする梅もたくさん採れる町です。梅というと、和歌山の紀州をイメージされると思いますが、蔵から車で15分行った山の方に梅農家さんがいて、今は全国で販売されていると聞いていますし、梅を紀州に送って紀州産になるのか分からないですが、そういう取り組みをされていた時代があったというぐらい梅の出来栄えはピカイチです。
・梅は、ゴルフボールより一回り大きい4Lサイズです。完熟し切って梅の重みで勝手 に落ちてしまうと木から栄養分をもらえなくなり腐ってしまうので、梅農家さんから、 毎年6月後半ぐらいになると、明日そろそろ梅が落ちそうでこれぐらいの量ができるの で取りにおいでとの電話をいただき、トラックで梅を取りに行きます。たくさんの箱に 梅を詰め込み、その日のうちに仕込みます。お酒造りは私たちがスケジュールを組みま すが、梅酒に関しては私たちのスケジュールではなく、梅農家さんのスケジュールに合わせて動かなければいけないという難しさがあります。
梅はかなり芳醇で桃みたいな香りがするので、お酒にした時の香りは面白いです。
・右上の写真ですが、梅を持って帰ってきて一個一個手洗いします。ちょっと傷があるものも混ざっているのですが、いろいろ試した結果、梅はやっぱり傷があるとエグミが出てしまうので、本当に市場に出るような一級品の梅じゃないと私たちの思う味にできないため、一個一個この目でチェックしながら分別しています。本当に選りすぐりの梅だけを使って造っている梅酒ということを覚えておいてください。なお、傷があり分別された梅は、母がジャムなどに加工するので無駄にはならないです。
▼御代栄
・御代栄というクラシックなラベルのお酒があります。賀儀屋が「食との相性」でしたが、こちらは「歴史を伝える」というテーマがあります。愛媛県の私たちの町でだけ流通しているお酒です。
・私が小さい頃は、御代栄ブランドしかなかったので、自分が大きく成長できたのもこの御代栄を父とか祖父とかみんなが造って一生懸命売ってくれたおかげです。もっとも、賀儀屋ブランドができて、全体の造る量は変わらないなか、何かを増やせば何かを減らさなければならないため、賀儀屋を増やしたことで御代栄は減産を余儀なくされています。その代わり地元で大事に売っていこうということでやっています。
・使用しているお米は賀儀屋とほぼ同じで、松山三井というお米が多いです。使っている酵母は協会7号酵母という長野県真澄さんで発見されて全国的に配布されているもので、しっかり酸が出ます。私たちの町の飲食店は肉料理やこってりしたものなど比較的濃い味や甘いものが多いので、そういった料理と一緒に飲んでもらうとバッチリ相性が合うと思います。町に来て、居酒屋にふらっと入り御代栄があれば、常温か熱燗で出てくると思いますので、ぜひ地元の魚を醤油につけて、一緒に飲んでもらいたいお酒です。
・ラベルですが、小さく「鍵屋本家」と入っています。このクラシックラベルは曽祖母が戦争を経て復興したときに作ったラベルです。その頃から大事に大事に先祖の想いを守っています。賀儀屋のような進化させていくお酒もありますが、御代栄のように守っていくお酒もしっかりあるということをお伝えしておきます。
▼成龍然(SEIRYOZEN)
・成龍然は2020年に生まれました。まだ造る量が少なくて、なかなか見る機会も少 ないかもしれませんが、先ほどの写真にもあった石槌山を象ったお酒です。テーマは 「故郷への恩返し」で、これまでずっとやりたかったことです。
・私と弟が蔵に戻り16年が経ちますが、ずっとやりたかったことは飲んでくれるお客様に喜んでもらうのはもちろんのことですが、何か故郷に恩返しができないかということでした。成龍然は2020年リリースの予定で進めていましたが、たまたま新型コロナと被ったため、大々的なリリースができずにスタートしました。
・このお酒のコンセプトは、地元のお米を使って良いお酒を造っていくということです。現在、私の同級生に実家が農家さんという方がたくさんいるのですが、後を継がないという方が多く、町の農家さんが減っています。先祖伝来の田んぼを他人に貸すとか、どこかに貸して更地にして商業施設にするとか、小さい頃、私たちが走りまわった野原や畑がどんどん無くなっていく現実は近い将来もっと進んでいくのではないかといった危惧があります。私たちができるのはお酒造りなので、地元のお米をしっかりと使うことによって、農家さんの育成や農業に対する注目度を地域内外の方に広く知っていただき、地域がもっと潤えば良いと思います。石槌山から来る「水」で育った「米」、「地元に住む人々」ということで、地元で最上のものをぎゅっと凝縮したブランドで
す。
・現在、このブランドは日本酒のほかに漬物があります。漬物は母が小さい頃から作っていました。コロナの時、玉葱農家さんから、涙ながらに「東京大阪の飲食店や給食向けがすべて止まってしまって、出荷予定だったタマネギを廃棄しなければならない。畑に成長した玉葱がゴロゴロ転がっている。安くでも、タダでもいいので何とかしてくれないか」と懇願されました。その際、母が試しに漬物にしてみようかということで取り組んだところ、非常に美味しく出来て、コロナが終わった現在でも定番として継続して販売しています。そういった地域のお米以外でも、玉葱、竹の子、キュウリ、メロンなどいろいろな生産物を酒粕に漬け込んで、試行錯誤しながら美味しいものを作っています。この春から新たにお味噌も生産します。これも地元の大豆で作ります。地元のもので「良いもの」を作って、それを全国いろいろな飲食店や一般の方に食べていただき、そこから地元を知ってもらうという良い循環ができればと思い、「成龍然」ブランドを立ち上げ、今日に至っています。
・「然」というのは、あるがままという意味で、地域のあるがままを皆さんに知ってもらえたらいい思っています。
・蔵開きは、2000年から始めましたが、当初来場者は50人程度でした。現在は 1,500人程度来てくれています。本当にありがたいです。何もない町かもしれませ んが、お酒があると食が集まり、そうすると人が集まって来て、そこに活気が溢れて、 (若者は都会に出て行くかもしれませんが)こういう地域に産業が芽生えてくると、更 に人は集まって来るということをまざまざと感じています。毎年来てくれる方に対し て、私たちも同じことをするのではなく、より良いお酒や食品を提供するのはもちろん ですが、驚きや楽しみなどいろいろなものを届けていかなければならないということを 考えています。写真右下にある「酒」と書いてある饅頭は実はそんな中から生まれたア イディアで、「蔵元女将の手作り酒まんじゅう」です。
・これは、大吟醸や吟醸の酒粕を生地に練り込んで、水を一切使わずに日本酒で生地を つないでいくという酒好きにはたまらないものです。中の餡子は祖母が作り始め、母に 伝わった自家製です。北海道の小豆を使ってコトコトお鍋で煮て、お酒がたくさん飲ま れる祭りですが、饅頭を始めてから非常に饅頭ファンが増えています。10時から16 時までのイベントに1,500人くらいの来場者があり、饅頭が2,000個出ます。朝 から晩まで、地域のおばちゃん達が集まって、ずっと湯気を受けながら饅頭を作ってい る光景がすごく面白くて、蔵開きとは「蔵を開いてお酒を飲むだけ」というイメージが あったのですが、いろいろな発想が生まれて、時代に合わせて進化しています。今回も 4月28日からですが、もう準備が始まっており、先ほど申し上げた今度作る成龍然の 味噌を使った新しい料理など、参加してくれる飲食店さんとも話をしながら、来場して くれるお客様が楽しんでもらえたら良いと思っていますので、皆さんも時間が許せば遊 びに来てください。
・今回の蔵元トークのような日本酒の会にもいろいろ参加しています。半年間お酒を造って、残り半年間は何をしているのかとよく聞かれます。瓶詰めなどの作業はあるのですが、できるだけ外に行くようにしています。今は地元、県外、海外などにいろいろなところで日本酒がフューチャーされているので私たちも活動しやすいです。20年近くこういった活動をしているなか、焼酎ブームの時は人が集まらなくて数人での内輪の飲み会みたいな感じで日本酒の会をしたこともありますが、今ではたくさんの人が来てくれるようになり嬉しいです。
・日本酒の会を飲食店さんで開催した場合、美味しい料理で日本酒を楽しむと、最高の思い出を皆さんに届けることができて、その後も日本酒を飲みたいというイメージにつながっていくので、会の際にはお客さまにどういう思い出を届けられるかを考えながらやっています。まだまだ勉強中ですが、北は北海道、南は鹿児島まで今年も4月中旬に酒造りが全部終わり、蔵開き、GWが終わったら、私もいろいろなところに弟とともに駆け巡る時間が始まると思うとワクワクしています。
・本日お会いした方と、またどこかでお会いできると思いますが、再会した際には今日の日を思い出して乾杯してもらえたら嬉しく思います。
▼発酵食品蔵
・故郷がとても大好きなので、もっともっと故郷のことを発掘できないかと思いながら酒造りをしている酒蔵としては、地域ともっと連携を取れないかということで、いろいろなことをやっています。左上の写真が発酵食品蔵です。法律で酒蔵と漬物を作るところを分けなければいけないということで、別に建設しました。
▼地域とのコラボ企画
・右上の写真は、若い人と母がいろいろ話をしているものです。地元にいくつか高校があります。高校の先生ともよくお酒を飲むのですが、子供達にも地元に酒蔵があるのだから何か体験させてもらいたいという話があり、高校生が学校で栽培しているさつま芋をベースにした母の酒饅頭を作るなど、年に数回コラボしています。右下の写真にあるとおり、高校生が企画して、お客さんを呼んで販売するなど、地域との連携に酒蔵をうまく使ってもらっています。
▼コラボビール
・左下の「KEY TO THE NEXT DOOR」というラベルのビールについてです。愛媛県庁所在 地の松山でクラフトビールを造っている友達とお寿司屋さんでお酒を飲んだ際、ビール と日本酒はジャンルこそ違いますが、醸造酒というカテゴリーは同じで、作り方もメカ ニズムも似ていることから何かコラボしようということになり、その日の夜にこの賀儀 屋ビールが誕生しました。私たちはビールを作る免許を持っていないので、基本的には 彼らにビールを造ってもらうのですが、酒蔵で使う日本酒酵母をビールに使うという試 みを3年前から毎年やっています。醸造長がアメリカ出身のマイクで、商品名として英 語で「KEY TO THE NEXT DOOR」(新しい鍵<扉>を開けていこう)と命名してくれまし た。香りとしては、白ブドウみたいな香りがあってかなりスッキリで、苦味少なめのビ ールです。非常に好評で、発売2か月で完売しました。
・シンガポール、アメリカ、韓国、台湾などで日本酒に特化した展示会が頻繁に開催されるようになりました。私たち日本人が想像する以上に海外のお客様は日本酒に対してかなり興味を持ってくれていて、私たちの発信する言葉に対してその都度頷いてくれます。現在は活動し易く良い時代だと思っていますが、父が海外に出た頃というのはまだ温度管理もできず大変な時代で、そういう先駆者がいて、今があるということを忘れずに、私たちもしっかり次の世代に向けて日本酒をもっと好きになってもらえるよう国内外に発信していきたいです。
・蔵に戻って16年経ちましたが、いろいろな造りの現場にいたり、こういうイベント会場にいて思うのは、酒を知ることで故郷を理解し、逆もしかりで故郷を知ることで酒や蔵の味が見えてくるということです。若い頃はお酒だけ飲んで酔っ払うという時代もありましたが、やはりその土地でその土地の物を食べ、その土地のお酒を飲んで、その土地の四季の風を感じて、目を閉じて美味しいと感じるところに日本酒の面白さがあるのではないかと思います。
・私たちは500石程しかお酒を造っていないので、多くの方にお酒を提供する力はないのですが、ご縁のあった方には、なるべく、故郷のことをしっかりお伝えして、お酒を知ることは故郷を知ってもらうことと思いましたので、本日はお酒のアカデミックな話ではなく地元の話を中心にお話しさせていただきました。
・私たちは夢をずっと持ってます。「酒は夢と心で造るもの」という言葉は蔵ができた明治10年から先祖代々うちの蔵に掲げられているモットー(理念)です。昔はこんな言い方をしていなかったようですが、今の社長(父)が後世に残すために、目に見えるお米とかお水とかで「もの」を作るのではなく、その時代の夢とか心とかを大事に「ものづくり」をしていこうということを言葉にしました。昨日、息子が中学校を卒業して卒業文集を持って帰ってきて、将来の夢がいろいろ書いてありました。私もそれを見て、息子がそんなことを思っていたんだと知ったのですが、多分夢というものは小さい頃と今とは全然違いますし、おそらくこれからも変わってくると思います。多分、その
年代によって夢や心は変わってくるものなので、この言葉をしっかりと後世に受け継ぎながらお酒造りに取り組んでいきたいと思います。
・生まれ育った故郷で45歳になるので、しっかりと地元のお米を使って良いお酒を造って、いろいろな方に喜んでもらうことで、皆さんの心や故郷を豊かにしたいと思います。日本酒だけではなく、漬物や味噌などの食品を通じて、今後も皆さんに良いものを届けていきたいと思います。
・これからはお酒を飲みながらなので、そんなに硬い話はないかもしれませんが、ゆっくり飲んでもらったら嬉しいです。
・今回3種類用意してほしいと言われましたが、現在、蔵にはたくさんの種類のお酒があったので、どれを選ぼうか大変悩みました。10月からお酒造りをスタートすると、12月から新酒が出始めます。同じタイプの3種類を利き酒しても面白いのですが、違いがわかったほうが良いと思い、今回はタイプの違う3種類を用意しました。
・私がこんこんと故郷の話をさせてもらったので、多分、皆さんの頭の中には愛媛の故郷がうっすら浮かんでいるのかと思いますので、ちょっと想像しながらお酒を飲んでもらうと、より美味しく感じると思います。
では、乾杯!
・一番代表的な賀儀屋の味わいはというと、3種類のうち一番上の漆黒ラベルだと思います。その地域や今の季節を表現したお酒というと「うららか」で、弟がこれからいろいろチャレンジしていきたいという未来あるお酒が一番下の責任仕込みと思います。蔵には、この5、6倍の酒類のお酒がありますので、蔵に来ていただければいろいろと飲んでもらえます。今日はこの3種類をテイスティングしていただいて、いろんなご感想やご意見をいただけると嬉しいです。
ご清聴ありがとうございました。
・毎回、恒例の集合写真です。オンライン参加の方もご一緒に!
故郷っていいですね!海あり、山あり、川ありで、愛媛県の街並みや自然環境を思い浮かべながらお話を聴くことができました。蔵訪問の際は、こういった自然も体感したいですね。
首藤さん、ありがとうございました!
<イベント前には渋沢栄一翁が生涯大切にした佐渡の縁起石「赤石」にタッチして運気アップ!あ〜渋沢栄一オブジェもご一緒に(笑)>
<蔵元トークの後は、おつまみセットをご用意いただいた茅場町食堂にご挨拶!モデルさんと間違えますね(笑)>
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