2021.03.28
こんにちは。
兜LIVE!編集部です。
3月12日(金)「日本の資本市場の礎を築いた渋沢栄一」と題したセミナーを、東京日本橋にあるFinGATE KAYABAとオンライン上で開催しました。講師に東京証券取引所金融リテラシーサポート部の石田慈宏さんをお招きし、「渋沢栄一が追い求めた資本市場」とは何か、その基礎をつくったものは何であったのか、というテーマでお話をしていただきました。
他では聞けないような石田さんの独自解釈も飛び出すなど、大変興味深かった本セミナー、オンラインで参加した様子をレポートいたします。
今回のゲストは金融業界の最前線、東京証券取引所(東証)の金融リテラシーサポート部の石田慈宏さん。渋沢栄一には特別な想いを持っておられるようで、「2024年の新紙幣への採用や大河ドラマの題材になったことでいっそう注目を浴びるようになった今だからこそ、渋沢栄一についてお話ししたい内容がある」と石田さんは始めます。
渋沢栄一は東証の前身である「東京株式取引所」の創設者であり、株式会社制度を初めて日本に取り入れた人物。「資本市場」を日本に根付かせ浸透させたことは、彼の業績の中でもっとも大きな偉業の一つであります。石田さんはこの機会に株式会社、資本市場を考えて欲しいという願いを込め、まずは渋沢栄一の足跡を振り返っていきました。
当日の資料より
渋沢栄一が多大な影響を受けたものと言えば、中国の思想『論語』をベースとした「道徳・経済合一説」。この考え方は「ほぼ少年期に形成されていた」と最近の研究者の間ではささやかれているそうです。石田さんは渋沢的資本市場が形成される一つのきっかけとなった、少年期から話を進めていきました。
1840年(天保11年)、埼玉県深谷市にある農家の息子として生まれた栄一。「渋沢・中ノ家」という、血洗島村を開いた一家といわれ、村の中にあって由緒ある家柄でした。農作の他に、養蚕や金融業なども営む村で1、2を競う富農の家でした。栄一は農民であり商人であり武士(に近しい存在)でもあるという、江戸時代にあってとても特殊な環境の中で育ちました。
厳格な父の影響もあって勉学に早くから触れることができた栄一。仏教や儒教といった日本古来の考え方を尊ぶ学問である「国学」に目が向くことになります。従兄弟の尾高惇忠から学んだ「後期水戸国学」はかなりセンセーショナルなものだったようで、生涯に渡って影響を受けることとなります。
しかし、ただその思想を受け入れるだけではなかったのが渋沢栄一のすごいところ。「後期水戸国学」は忠君愛国、尊王攘夷(排外思想)が中心的な考え方で、栄一はその影響を受けつつ、本来は排商的思想を持つ儒教の考えにも影響を受ける事になります。忠君愛国に具体性を持たせたいと言い、「国を愛している」と言うならば行動で示すこと、つまり「皆がそれぞれ、人を、社会を救うこと、それが愛国に繋がる」という考え方に至りました。一見矛盾している二つの思想をうまく落とし込んでいるように感じます。
栄一の「自分の周りにいる村民や商人の生活を良くしたい」という思いは、「皆の想いを合わせていく」という部分が合本思想と繋がります。このことからも幼少期より合本思想の芽生えがあり、この考え方を蓄積していったことが伺えます。
渋沢栄一がMBAと聞いて、疑問に思う方は多いでしょう。Master of Business Administrationの略称で日本では経営学修士と呼ばれ、経営学の大学院修士過程を修了すると与えられる称号です。もちろん、彼の時代にはありません。しかし、石田さんは「栄一は一橋でMBAを取得している」とおっしゃいました。
この時代を超えた洒落はどういうことかというと、栄一の出世と関係しています。青年時代に一橋慶喜(15代将軍徳川慶喜)に仕えた栄一。任された財務の仕事などで思い切った提案をして認められることになりました。つまり、20代そこそこの人間がいきなり企業の経営を任され、それを成功させたことになります。「これは正に、実地・体験型の“一橋”MBAだ」という、実際の一橋大学でMBAを取得された石田さん渾身の洒落でした。
この時の体験が栄一、そして日本の金融・株式制度に大きな影響を与えることになりました。さて、その才覚を認められた栄一は、一橋藩の飛地である播州の経営を任されることになります。
当日の資料より
ここで、「藩札」というものを少しご説明します。江戸時代における公式のお金は金、銀、銅といった希少な金属の貨幣。ゆえに、江戸期に拡大した経済を賄うのに十分な貨幣量が確保できませんでした。この不足を補うため各藩が独自に発行していた紙幣が「藩札」です。
栄一は任された藩の現地調査を徹底的に行い、それから藩札を発行するというプロセスを踏み、これを成功させます。播州一橋家領内の特産品である木綿を「御産物会所」を介して納品させ、藩札で支払うようにし、さらに銀貨への交換手段も用意していました。しかし、元々流通量の少ない貨幣に比べ普段使いにも良い藩札が好まれるのは必然で、藩札は重宝されることとなり自然と領内にお金が大量に回るようになりました。結果、領内が活性化し木綿をさらにたくさん生産できるようになります。儲けも増え、銀貨を貸してくれた領内の富商達にも多くのリターンを返すことができました。
この、御産物会所に「預けた木綿に対して藩札を戻すという構造」は現代における銀行の役割と同じものであり、江戸時代の金融システムは大変進んでいたことがわかります。また、銀を拠出してくれた商人に対し証文を発行する仕組み、これは現代でいうところの株式そのものであると考えられます。江戸時代の藩札事業は、現代の私たちに通じるミニマムな金融のパッケージそのものだったのです。
こういった一連の流れは元々江戸時代にあったものではあるのですが、栄一自身が一から実地調査し、企画し、実施し大成功させたことに意義があり、青年時代のこの成功体験が彼の今後の道筋を決める決定的なものとなった。と石田さんはお話になりました。
1867年(慶応3年)、栄一は武官(財務担当)として幕府使節団に随行し、パリ万博へ赴きました。渋沢栄一を語る上で外せない「欧州見聞」の時代です。ここで、「一般的によく言われる“渋沢サクセスストーリーの始まり”というのは少し違っているのではないか」と石田さんは疑問を呈します。
欧州では「漫然と日々を過ごしていた」と栄一自身が語っているように、何かを特別に学ぶということはなかったそうです。ヨーロッパの経済や実情を「ただ体験した」に過ぎなかったのではないか、と石田さんは続けます。先の「藩札発行の金融体験」を通じて得ていた「銀行組織」の役割を再確認し、自分自身の事業計画とどう結びつくのかをヨーロッパで「体験」した栄一は、欧州の制度をそのまま持ち込むのではなく、日本に合う形にアレンジする必要があると強く思うようになりました。
栄一にとって衝撃的だったのは、「ビジネス」がヨーロッパでは尊重されているということでした。つまり商売人の地位が高い。商人こそ国を愛し富ませる存在である、という考えがあることに栄一はとても感動します。この背景には儒教的な考えも根強いこの時代の日本では商人の地位は低く見られていた現実がありました。これにより栄一は経済を通じて世の中を変え、それにより愛国を貫くという考えに辿り着くこととなります。
元手(資本)が流通するという意味、即ちお金の貸し借りをする場所のことを「資本市場」といい、遡ると室町時代にはある程度の仕組みは出来上がっていたとされています。江戸時代になるとその金融システムもかなり発達していきましたが、栄一はそれとも異なる資本市場を創ろうと考えました。
今までのように余剰資金を個別に自分たちが貸し付けるのではなく、それを「合本」しておく。ただ資本を集めておくということではなく、「国のため社会のために余っているお金を一旦どこかへプールさせておきましょう」という意味になります。
そのプールさせる場所として、ヨーロッパで見た「銀行」が良いのではないか、と栄一は思います。銀行=合本組織という考え方。これは、彼自身の経験、直感からつくったものでした。商人は個人からではなく銀行からお金を借りる。その際、「皆の気持ちを一致して目的のためにお金を使う」という合本の思想に基づこうと考えました。これが渋沢栄一の考えた「資本市場」です。
のちの「東京株式取引所」に繋がるもう一つの「発展型資本市場」。ここで石田さんの口調にもいっそう熱が入ります。個人の商人に金を貸すのではなく、会社の元手を株券という形で出資するという仕組みでも合本できる、と栄一は思いつきます。出資したお金には返済期限がなく、出資した以上の責任は負わない(有限責任)、ということも決めました。「出資者、会社を経営している人たち、銀行に預けている人たち、銀行自体、全てが同じ目的のために(国を儲けさせるために)行動する」という意味で合本主義の思想を貫いています。
話は欧州見聞時代へと少し戻ります。栄一が訪れた時のヨーロッパは「株式会社」が大ブームでした。有限責任制度の是非をめぐり、なんと200年にも渡る激論が続いていて、次第に社会に浸透していったという背景もありました。
経済学の父と言われているアダム・スミスは資本市場を語る上で外せない存在です。彼の考えていた西欧の資本市場とは、「「自由な競争」を通じて個々人が好きに活動すれば、結果的に最適に配分されるだろう(国富論)」というもので、当時はこの国富論のユートピア的な市場論が西洋の一般的な考えでした。
一方で、『道徳感情論』の中でアダム・スミスは「個々の経済主体が自由に『バラバラな意図』で行動すると悲惨なことになる」とも発言。つまり、皆が同じ方向を向いていればハッピーになれる、ということです。栄一はもちろん彼の本は二冊とも読んでいて、特に『道徳感情論』に強く共感しました。お察しの通り、合本主義の考え方に非常に近いものであることが分かります。
市場についてアダム・スミスの国富論的な考え方より、現代の経済学では、もっと複雑なものだと考えられています。と石田さんは続けます。「公共の利益のために各人が協力して資金を出し合う。株主も経営者も心を一つにしなければならない」という、栄一の合本思想はアダム・スミスの『道徳感情論』に非常に近く、現代における経済学から見ても非常に進んだ考え方であるといえます。
経済人としての渋沢栄一にフォーカスをあてた1時間のセミナー。栄一の意外な欧州見聞時代など、目から鱗のお話もたくさん聞くことができました。日本の銀行組織の成り立ちを渋沢栄一目線で見ていくことで、複雑なシステムが非常に分かりやすくなるように思います。本セミナーを受け、渋沢栄一は今もなおさまざまな形で私たちの生活に影響を与え続ける存在であることが実感できました。
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