2024.08.20
こんにちは!
兜LIVE編集部です。
6月1日(土) 、『日本酒を蔵元トークとテイスティングで楽しむ』を開催しました。
今では国際金融都市といわれる日本橋兜町。
江戸時代には日枝神社の門前町として栄え、酒問屋で賑わっていた「日本酒の聖地」でした。
東京証券取引所において初上場時の5回の鐘撞は、五穀豊穣に因んでいるとのこと。平日は賑わうこの兜町に、休日にも人が集まってもらいたい。そんな願いから日本各地の蔵元を招き日本酒について学び、味わい、楽しく交流し、その魅力を、兜町の魅力といっしょに広め、お酒が地域と人をつなぐ場所...。そんな場所に発展するように願いを込めて、毎月1回日本酒セミナーを開催しています。
今回は、三重県菰野町で「田光」を醸す早川酒造代表社員の早川俊人さんをお迎えして開催しました。お楽しみください!
・本日は、田光のことを深掘りできたらと思います。まず、三重県の紹介VTRを見ていただきます。これは三重県でGIを取得した時に三重県で作った映像です。ユーチューブでも公開されていますが、三重県が凝縮されていますのでぜひご覧ください。
地理的表示(GI)紹介動画(地理的表示「三重」編)
・三重県はやはり伊勢神宮を中心に酒造りを行ってきたという歴史があります。今、三重県の全体像を見ていただきましたが、奈良と近接しているのが伊賀地域、あとは中勢・南勢、北勢と分かれていて、現在、33社の酒蔵があります。残念ながらこの中で一社が今年休蔵するということを発表されて現状製造しているのは32社になります。うちの蔵があるのは北の方6番で、滋賀県との県境にあります。
・これが三重県の銘柄です。
・北勢地域は、比較的鈴鹿山脈を麓にした水を使う蔵が多いので、非常に酒蔵が多いです。ただし、三重県はまだ小規模で造っている蔵が多く製造石数が少ないです。灘、伏見に近かったことから、大手にお酒を造って売るという「桶売り」という文化がありますが、それをまだ行っているところもあります。
・三重県は、私が蔵に戻ったときは先ほど説明したとおり南北に分かれていて、なかなか一緒に集まって何かをするということが少なかったです。私が蔵に戻った時は一番若い杜氏だったので、組合に出ても何かこうすごく建設的な意見交換があるわけでもなく、自分で酒を造っていたので、何か情報を集める場が欲しいと思って、その時に「酒屋八兵衛」という酒を造っている玄坂酒造の息子さんが蔵に帰ってきたタイミングで一緒に何かやらないかということで「三清会」(三重県清酒研究会)を立ち上げて、ちょうど6年目になりますが、まずは三重県の課題は何かということに取り組みました。
・三重県は造ったお酒の県内消費が非常に少なく17~23%程度で、ほとんどが県外で消費されているという現状に気付きました。また、テレビでは三重県は一番アルコールを飲まない県で、お酒が弱いことで有名であると放映されていました。そういうこともあって、技術情報共有の機会が非常に少なかったので、蔵のレベルに非常に格差があるということを感じてました。
・また、当時から蔵に就職される多くの方は醸造経験がないのですが、そういった方が造りについて聞ける場が少なく、目上の杜氏さんなどに質問をし難い状況でした。みんなが気さくに話せる機会が欲しいということで、2018年に「三清会」を立ち上げました。
・真ん中が私で、左隣が元坂酒造元坂新平さん、その隣が伊賀で半蔵というお酒を造っている太田酒造太田さん、右隣が伊賀で天下錦というお酒を造っている福持酒造場羽根さん、その右側が伊賀で義左衛門を造っている若戎酒造坂本さんです。
・何をテーマにしようか相談していたところ、全国新酒鑑評会に照準を当て、金賞入賞の数を増やすにはどうしたらいいかということでした。そこで、これまでは自分の蔵のデータを見せるということはなかったのですが、蔵のデータを共有すれば良い方向につながるんではないかということで、皆さんにお願いして製造データを集め、鑑評会に向けて頑張りました。ただ、全国新酒鑑評会というのは県ベースで頑張ることが多いです。例えば、福島だったら「〇〇な酒質を造って金賞を目指そう」とか、山形だったら「△でいこう」など県ベースで方向性があるのですが、三重県の場合はそうではなく、各蔵の採用したい酒質で金賞を取ることを目標に掲げたので、三重県は非常に酒質がバラエティです。方向性を1つに固めてしまうと三重県の個性が死んでしまうと思ったので、そうであれば、三重県の各蔵が造りたいお酒で鑑評会の入賞・金賞率を上げるにはどうしたらいいのかを念頭に、日々みんなで勉強しながらやった成果が下表です。
・このオレンジ色のラインの年が三清会発足の年です。三重県はまだ出品数が非常に少なく約半分です。34社で17社が出品して、三清会を立ち上げた年は入賞数が9、金賞が3で、かつ出品する蔵が非常に少なかった純米酒部門で入賞したのは1社だけでした。因みにこの1社は当社でした。当社は純米酒だけでアルテン酒を造っていなかったので、純米酒で金賞を目指して、コロナ禍の間でもその成果は必ず出ると信じて勉強を継続しました。
・その後、出品蔵数は変わっていないのですが、入賞数が徐々に増えてきて、三清会に参加している蔵はほぼ入賞を取るレベルまで上がってきました。さらに、この入賞数の中からほぼ8割の8社が金賞を取るような酒質に上がってきました。今年の全国新酒鑑評会では純米酒を出品する蔵が増えたほか、全国的に地元米とか、自分たちの造りたいものを表現する動きが盛んになってきているなか、三重県もそういった方向で、純米酒の出品数7のうち5個が入賞しました。この入賞のうち全てが金賞を取っています。これは三重県にとっても自分達にとってもすごく自信につながりました。
・因みに、当社は平成29年に入賞して以来取れなかったのですが、今年初めて田光で金賞を受賞しました。岡山県産の雄町で出品して金賞を取った蔵は2蔵です。今年、金賞を取ったお酒は195あるのですが、その中で純米雄町で取ったのは当社だけだったので、ちょっと自慢です(笑)
・蔵から見える菰野町の景色です。人口は約40,000人で、米作りが盛んに行われています。
・菰野町は滋賀県との県境にある鈴鹿山脈の麓に位置する自然豊かな環境に恵まれた場所にあります。鈴鹿山脈は別名「セブンマウンテン」とも呼ばれていて、1,000m級の山が7つあります。なかでも標高1,212mを誇る御在所岳は、1,300年の歴史がある湯の山温泉やロープウェイの鉄塔として日本一の高さを誇る御在所ロープウエイを有しており、三重県内でも有数の観光スポットとなっています。
・春から夏にかけて、桜、アジサイ、シロヤシオ、アカヤシオなどの彩り鮮やかな花々を楽しむこともでき、秋には色とりどりの素晴らしい紅葉、冬は雪景色と四季折々の自然を満喫できます。私達もそれを見ながらお酒を造るとすごく癒されます。
・地場産品は、萬古焼で有名な陶器、鈴鹿山脈の清流と広大な農地で収穫されるお米で作られた日本酒、自然豊かな中で生育された精肉およびその加工品、乳製品、全国的にも有名な製麺、農業の町でもある菰野町の農産物、菰野町は、このマコモが原野に多く生えていたことからその名が付いたといわれ、農業者、商業者など町を挙げてマコモの生産やマコモを用いた加工食品の開発に積極的に取り組んでいます
・ここで、蔵の紹介VTRを見てもらいます。
早川酒造 (三重県菰野町) / Hayakawa Sake Brewery
・1982年生まれで、今年で42歳になります。三重県出身で、2人兄弟の二男です。兄は東京で脚本家をしています。私とは3歳離れています。私にとっては幼いころから岩手から来ていた蔵人たちと過ごし、蔵の中を三輪車で走り回る活発な子で身近に酒造りの環境がありましたので、必然的に自分がやるのかなと思いながら蔵に入りました。
・大学は東京農業大学の醸造学科短期大学部(当時は短期大学があった)でした。私は4年制に行きたいと言ったのですが、父母が2人で酒造りをしていたので早く帰ってこいということで、2年制に進みました。当時、体重が51キロぐらいでヒョロヒョロだったのですが、アメフト部の勧誘を受け、ちょっと怖いなと思ったのですが、楽しそうな雰囲気だったので入部することにしました。それからアメフトにはまり、26歳までプレーしていましたが、怪我をしたところで、酒造りを始めていたため、現役を引退しました。この経験により酒造りに必要なパワー、精神力、団結力を得ることができました。
・実家に就職したのですが、当時は言われたことをやるだけ、いわゆる惰性で仕事をしていました。蔵の経営がどんどん悪くなっているのは体感していたのですが、何をしていいかわからない状態でした。
・2007年、2008年には山形県で上喜元を醸す酒田酒造の社長兼杜氏である佐藤正一氏に師事し、1年目は麹と醪、2年目は酒母と出荷管理を学びました。その時に飲んだ上喜元の雄町赤ラベルに衝撃を覚え、蔵に戻り2009年より杜氏に就任した際、雄町でお酒を造りたいと新ブランド『田光』を立ち上げました。
・その当時、父と2人だけで酒造りをしていたので、単純に寂しかったのか、「自撮りコレクション」というものをやっていました(笑) 蔵の中で作業をしていても、誰も話し相手はいないし、父ともそんなに仲良く話す関係ではなかったですが、酒蔵が辛いとか嫌だとかという感じを見せたくなかったので、何か良いアイディアはないかと思案したところ、携帯をタイマーセットして自分で構図を決めいろいろと撮影することを始めました。私のインスタグラムやフェイスブックから全部見れますので、見たい方は友達申請してください。
・徐々にカメラの撮影技術が上がり、最近の「桜」は一眼レフで撮りましたので、映像が非常に綺麗になっています。
・こんなことをしながら、少しずつ蔵を発展させることを考え、更なる酒質向上を目指しています。
・創業は1915年(大正4年)になります。酒蔵の前は藍染めの原料になる藍玉を製造していたと聞いています。その時の屋号が「紺政」だったことに感銘を受け、蔵人のTシャツを含め蔵のカラーを全部紺色に統一しています。
・創業当時の蔵です。当時の銘柄は「美しく賞賛する」ということから「賞美」という名前で、地元では結構な量を製造していました。蔵は四日市市天カ須賀という海側にあったのですが、1959年に伊勢湾台風でほぼ全壊し、一度は立て直すことを目指しますが、水質がその台風の影響で大きく変わってしまって、1977年(昭和52年)により良い水を求めて菰野町に蔵を移転しました。そこから1993年ぐらいまでは桶売りをしていましたが、一部のお酒は菰野町の湯の山温泉などの温泉施設や道の駅で売っていました。
・その後、日本酒業界は低迷し、バブル崩壊などの影響を受け経営は悪化していきました。最盛期の製造量は1,000石ぐらいで、子供の頃は東北から杜氏集団(南部杜氏)が来て一緒にご飯を食べたり休憩室で遊ばせてもらったりしてましたが、経営の悪化とともに一人ずつ減っていくという寂しい状況を目にしながら、2002年には40石まで石数を落としました。この40石という水準はほぼ倒産に近いレベルだったので、父はこの段階で継続するか廃業するか非常に悩んだそうです。
・その時、当時の設備会社の社長が、「今後クラフトの時代が必ず来るので、小さくても良いものを造っていれば売れる時期が来るので、二人でも造れるような設備を導入しなさい。」ということを進言してくれて、全自動の発酵タンクを3基導入し酒造りに力を入れるようになりました。
・1994年に父の方針でアル添酒の製造を廃止して、全量純米醸造にしました。その際、搾りを圧搾機(ヤブタ)から槽に変えました。そして、2020年に昭和52年以来の蔵の改修を実施しました。
・「31」とあるグリーンのタンクですが、伊勢湾台風を乗り切った唯一のタンクです。下は当時の写真ですが、父は記憶に残っているそうで、この記憶を忘れないようにということで、綺麗に手入れして再利用しています。
・一番左が6年目、その隣が2年前に入ってきた京都出身の方、真ん中のガッツポーズしているのはすごく愉快なパートさん、私の隣が今年の4月から新しく入社した方です。 前列が父です。父を除く5名で、製造石数は昨年が300石、今年は100石増の400石です。
・2009年から新ブランド「田光」を立ち上げました。
・この田光地区に早川酒造があります。広大な地域に田んぼがあり、鈴鹿山脈の麓にありますが、菰野町の中で、これだけの田んぼが広がる地域はここだけになってしまいました。私達がここに蔵を構える意義というのは非常に大切であると日々感じています。
・「田光」の名の由来は、「田んぼ」からきています。「山から流れる川の綺麗な水が田んぼに入り、夏に蒸発しキラキラと光った」、「稲穂が実り、田んぼが黄金色に染まる」ことから、地名が田光となりました。蔵の横には田光川が流れており、そこからインスピレーションを受け、お酒の名前を「田光」としました。
・因みに、本当は「多比鹿」(たびか)が正確な字で、現在、唯一この字が残っているのは「多比鹿神社」だけです。4月になると桜の綺麗なところで、もともとは鹿が多く住んでいたと言われています。
・田光のブランドコンセプトは、「地元が誇る酒 地元の人達が自信を持って勧めたくなる、人から人へつながるお酒」です。
・地酒というものは、自分たち地域の人たちが、東京など県外に住んでいる方も含め、地元を誇れるようなお酒になることが大事だと考えており、お酒をもらった方がそのお酒に感動して、他の方へ繋いでいただけるような形で、地域の人たちに応援してもらえるお酒になるということをコンセプトに掲げています。
・そうなるために、「揺るがない美味しさ」ということをテーマに掲げています。非常に恵まれた環境の中でお酒造りをさせていただいていますが、設備は使う人によって、丁寧に扱えば綺麗になるし、サボれば汚くもなります。では、どうしたら丁寧に扱うようになれるか。例えば、お客様が四号瓶1本2,000円前後のものを買っていただく場合、時給1,000円とすると2時間働かなければならない金額です。その2時間分を無駄にさせてはいけないということを意識しています。自分たちの作業がお客様の2時間を無駄にすると思ったら、必然的にどう酒造りをすれば良いかということにつながっていきます。酒造りをする際に、そのことを共通認識として思い描きながら作業をしています。
・酒造りにおいて水は非常に大切です。
・菰野町の水の特徴は、非常に水量が豊富で綺麗なことです。
・三重県には伊勢神宮と深く関わりのある何かがあるとお伝えしましたが、この菰野町も例外ではなく、菰野石という大きな石があります。これは花崗岩で御影石です。その御影石の中でもこの菰野石は別名「伊勢ゴロタ石」といいます。これは伊勢神宮の敷石や灯籠に使われている非常に清純な石として崇められていて、菰野町は、「石の里」と呼ばれるくらい良質な花崗岩がたくさん取れていました。他の花崗岩と何が違うかというと、自然放射線が出ていて苔付きが良いほか、マイナスイオンを発生させるので浄化作用が高いです。
・水の下に大きな花崗岩が見えますが、雨がこの地質を流れている間に非常に綺麗で柔らかい水となって私達のもとに届いてきます。蔵で地下50mから組み上げて使っている水は、山に降ったものが60年かけたものです。本日、飲んでいただくお酒も60年前の水を使っていると思うと、非常に感慨深いものがあります。
・蔵の仕込み水の硬度ですが、南アルプスの天然水、日本の水道水の平均、いろはすなどと比較しても、11ppmと超軟水です。これは、日本国内の中でもかなり柔らかい部類に入り、発酵は穏やかで綺麗な酒になりやすいというのが特徴です。その水の特徴をしっかり活かしてお酒を造ろうと考えています。
・地元のお米しか使わないという蔵もあり、私達も「神の穂」という地元の酒米を使っていますが、上喜元で飲んだ岡山県の雄町というお米をすごく大切にしています。雄町は非常に古いお米で1840年代の原生種と呼ばれる掛け合わせのない古代米になります。
・この雄町の種を三重県に持ってきて栽培しましたが、造ったお酒は全く雄町の味がしませんでした。お米はその土地の水や土壌で育つのが一番品質を表現できるということを再認識し、改めて岡山の雄町を仕入れて酒造りをしようと思うようになりました。
・自分たちがしっかり表現できることを前提に、岡山の雄町、神の穂、山形の出羽燦々の3つを主軸としてお酒を造っています。神の穂は、2007年に三重県が作ったお米で、「神の国で作られた美味しい酒米」という意味です。
・鈴鹿山脈から吹き下ろす山卸しを「鈴鹿おろし」という別名がありますが、これだけ強い風が普通に吹きますので、昼夜の寒暖差が非常に大きいです。朝夕はしっかり冷えるので、米作りにはこの寒暖差が非常に重要だといわれていて、稲作にも向いている地域です。
・現在、菰野町の農家さん4名に、契約栽培米(神の穂)を3兆歩くらい作っていただいてます。
・もう少し作ってほしいとお願いしていますが、農家さんの高齢化で難しい状況です。蔵から見えている田んぼは、将来的に全て早川酒造で管理できたらと考えています。さらに、農業学校ができたら良いと思っています。高齢者(ベテラン)がたくさんいるということは、それだけ良い先生がたくさんいるということで、その間に、しっかり学び、お米やお酒で生計が立つサイクルを作ることで、この風景を守っていきたいと思いますので、県の関係者に理解していただけるよう、農業学校での教育や販売先の確保もできたら良いと思い、活動しているところです。
・これが早川酒造の契約栽培米を作っていただいている農家さんです。
・右の方は一番若く29歳で、期待の星です。その隣の方は「田光と資源を守る会」の副会長です。千人規模の大きな組織で、田光地区は天然記念物のシデコブシという植物の群生地もあり、その環境を守ることに非常に力を入れています。この4名に頑張っていただいて、毎年新酒の時期である12月になると、神社のそばにある公開所でお酒のお披露目会を開催して、町長や町会議員の方たちに出席していただき、地元にはこれだけ素晴らしい農家さんがいて、素晴らしいお酒ができるということを知っていただく機会を設けています。
・最初は結構苦労しましたが、だんだん農家さんも良い米を作れば良い酒になるということを理解してくださり、自分たちで看板を作って、下の方に「田光のお酒に!」などいろいろなコメントを書くようになり、私達もこれを見るとお酒を造る時の励みになるので、継続していければと思います。
▼原料処理
・限定給水といって、10キロずつ小分けに洗って細かく水分を調節しています。米糠を落として、綺麗にすることに重きを置いているので、ここは一番大事にしている作業です。
・因みに、なぜガラス張りにしたかというと、蔵見学を行っていないのですが、見学にお目になる方は結構来るので、申し訳ないと思い、外から見えるようにしました。以前は壁でしたが、閉鎖的な空間で酒造りをしていると息が詰まってくるので、せっかく目の前に広大な鈴鹿山脈があるので、これを見ながら作業しようと、また蔵の前は小学生の通学路になっていて、地元の小学生が通学路で蒸気を上げて米を蒸したり、自分たちの通学生活の一部の中にお米を朝蒸した香りがあったりとか、それが自分たちの小さな時の記憶にあれば、いいなと思いながらこのガラス張りにして見えるようにしました。
・限定給水は6年目と2年目の蔵人に担当してもらっています。
・昔は自分一人でやってましたが、現在は入社した初日から米洗いをしてもらっています。なるべく早く経験することが熟練する第一歩だと思っているので、「リカバリーは私がするので、失敗するなら思い切って失敗してください」と言ってどんどん経験してもらっています。
・これはちょっと特殊なシャワーですが、お米を機械で洗った後に「掛け水」といって最後にもう一度水を掛けます。最後の糠落としではないですが、大きなシャワーヘッドになっていて、だいたい毎分150ℓの水が出ます。これは、ザルの大きさに合わせ、かつ水量がどの表面にも同じ量が当たるように計算されて作ってもらったので、水が豊富なこの場所でしか使えないものだと思っています。
・人が掛けるとムラがでてしまうので、どうしても米糠の落ちている部分、落ちていない部分、綺麗な部分、綺麗ではない部分がどうしても出てしまうのですが、このシャワーを使うと、均等に大量の水を浴びせることで糠を落としてくれます。鏡のように綺麗に仕上がり、お酒も非常に綺麗で滑らかなものになります。ここを一番重点的に取り組んでいるところです。
▼蒸し
・ここはお米を蒸す場所で、真ん中にあるのが甑です。仕込室までは遠いので、蒸した後に仕込室まで車輪の付いた台車で押していきます。
・麹は、大きな箱麹と複数枚の蓋麹で管理する方法の2種類に分かれますが、蓋麹ですと枚数が約80枚になり、麹の作業は一人でやりますが、最初の1枚目と80枚目で非常に温度差が出てしまって管理が難しいです。一方、大きな箱麹ですと、15キロから20キロぐらい入る箱になるので、それだと一人で作業するのは非常に大変ですので、5キロ盛りの特注の箱を作ってもらいました。
・箱に仕切板が入っていますが、仕切板を上から何段目という感じで蔵人に指示をして麹を管理してもらっています。私が小さい頃は、杜氏さん達は室で寝ていました。毛布を弾いて寝ていたのですが、要は何回も入退出するのであれば、室内で寝て管理する方が楽だったようです。その後、衛生管理面から良くないと言われるようになり、今では携帯で管理状況を全部見れるようになっていて、出張先でも麹の温度管理は全部見れるほか、なるべく麹を造る部屋に入る回数やお米を触る回数を少なくして、いかに綺麗な麹を造るかを考えながら作業をしています。
▼酒母管理と分析
・酒母室には3本のタンクがあるほか、除湿冷風機があります。天敵は湿度です。どうしても湿度が高いとカビなどいろいろなものが繁殖するので、大型の除湿器を入れています。冷蔵庫とほぼ同等の冷却能力もあり、非常に衛生的に管理ができます。
・分析はオートメーション化していて、誰がやっても同じ数字になるように醪の管理をしています。分析は非常に大事で、血液検査みたいなものです。自分の体調がどうなのか、この醪がどういう状態にあるかを測ります。
▼仕込み
・先ほどの設備会社さんの勧めで導入したものは、サーマルタンクです。普通のタンクは中心と外側の温度差がどうしてもできる(外は冷えて中は冷やせない)ので、楷入れで撹拌し、温度を均一にすることが大事になります。このタンクは中に回転軸があり、真ん中の支柱とか羽の中まで冷水が入っていて、中心と外側両方から醪を冷やすことができるほか、温度センサーが付いていて、上中下段の温度を全部コンピュータの制御版で管理することができます。このタンクのおかげで楷入れ作業がなく、均一に発酵が進みます。特に、水が柔らかいので、醪管理をしっかりやらないとうまく発酵していかないので、このタンクのおかげで随分救われました。
▼搾り
・800キロの仕込みで、槽の中に320枚の袋を重ね、自重でゆっくりと搾っていきます。後ろのブルーシートは足を付くために引いてあります。槽が想像以上に深いので、支えがないとひっくり返ります。均一に積まないと圧が均等にかからないので、綺麗に積んでもらっています。
・槽で搾ったお酒はやわらかく、雑味のない綺麗な酒に仕上がります。この搾りでは酸化するではという方がいますが、私達が目指すのは、口当たりの柔らかさとか滑らかさをすごく重要視しているので、酸化することよりもこの絞り方に重きを置いてます。
・3種類ご用意しています。順次、説明します。
では、乾杯!
<早春と田光の違い>
地元銘柄の早春はコシヒカリで造るお酒で酵母は単一ですが、田光は全量酒造好適米で造り、酵母はブレンドすることもあります。
・毎回、恒例の集合写真です。今月も国際色豊かですね!
早川さんに初めてお会いしたのが2011年でしたが、その頃は50石程度でした。現在は400石まで増石されています。また、新商品の開発に取り組んでいるとか、、、
13年の歳月って素晴らしいですね。立派になりました!
ぜひ、田光地区の自然を守っていただきたいですね。 早川さん、ありがとうございました!
<イベント前には渋沢栄一翁が生涯大切にした佐渡の縁起石「赤石」にタッチして運気アップ!渋沢栄一オブジェもご一緒に(笑)>
<蔵元トークの後は、茅場町の銘店つまみ菜で盛り上がりました!>
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