2022.11.23

【蔵元トーク】#47 4蔵大集合(金升酒造・飯沼銘醸・平瀬酒造店・富美菊酒造)後編

前編より


◆富山県「羽根屋」羽根敬喜さん(富美菊酒造)

(金升酒造の高橋さんから次の登壇者 羽根さんのご紹介)
・紹介するまでもないですが、最近、ブリブリいわせている富美菊酒造の社長であり杜氏である羽根さんです。

・羽根さんは、私が協和発酵2年目の時に清酒工場に入社して来られた。インテリタイプなので、酒造りの職人達の世界に入ってきたときは苦労されたかと思いますが、その時の経験がしっかり肥やしになって、今、素晴らしい銘酒を醸している。みなさん、楽しみに話を聴いてください。


(羽根さん)
・高橋さんから素晴らしい紹介をいただき、ありがとうございました。協和発酵では、私が学校を出てから蔵に戻るまでの3年間、お世話になった。今回、兜LIVE!でご一緒できるのが嬉しくて富山からやって来た。限られた時間ですが、最後にどんな想いでお酒を造っていきたいかお話したい。



<富美菊酒造の歩み>
・大正5年創業。立山連峰の伏流水を仕込み水に、五百万石、雄山錦、山田錦、富の香などの富山県産酒米を使用し100年あまり富山の地で日本酒を醸し続けている。

・年間の生産量は、一升瓶(1.8リットル)換算で9万~10万本出荷して市場に出している。蔵の規模は、どの地方でもあるような大きさ。全国の多くの蔵が秋の10月から春の4月頃までの期間に日本酒を造り終えているが、当蔵の大きな特徴は1年を通じて酒造りを行っており、1年中搾り立ての生を味わってもらえる。

・近年、和食がユネスコの世界遺産に登録され世界でも和食が注目を集める中、ロンドンやフランスでの日本酒コンテストにおいて高く評価され表彰された。


<主な受賞歴>
▼金沢国税局酒類鑑評会 優等賞受賞
平成8・11・12・14・15・16・17・18・19・23・24・25・26・27・28・29・30年
令和2・3・4年

▼金沢国税局酒類鑑評会 富山県主席第一位表彰
平成16・26年

▼全国新酒鑑評会 金賞受賞
平成14・16・18・25・27年

▼世界最大規模・最高権威と評されるロンドンにおけるワインコンテスト

IWCインターナショナルワインチャレンジSAKE部門
ゴールドメダル 受賞 9回 部門別トロフィー受賞 3回(うち部門トップ1回)

▼フランスにおける日本酒コンクール「Kura Master」
「純米大吟醸・純米吟醸部門」にて2018~2022年 5年連続プラチナ賞受賞。
プラチナ賞受賞 7回 中でも上位1%に相当する部門トップ5 受賞2回、
部門トップ2  受賞 2回 、部門トップ賞の審査員賞2回


・3000メートル級の山々から富山平野に流れ出た清冽な雪解け水、そこから育つ富山のお米で酒造りを行うことで、富山の素晴らしさを日本酒を通して世界にむけて発信している。



・全てのお酒は10キロずつ普通酒から大吟醸に至るまで同じように洗う。最盛期は800キロくらい洗う。コンセプトとしてすべてのお酒を大吟醸のように造ること。




・日本人が減少しているなか、全てのアルコール飲料に対する耐性が落ちてきている。日本に限らず、フランスでも自国のお酒を飲まないといった深刻な悩みになっている。

・一番日本酒が飲まれた時代は昭和50年代で、現在、ほぼ1/3程度の水準になっている。われわれ日本酒業界が日本酒に目を向けていただけるような活動をしていかなければいけない。




・平成3年に共和発酵に入社し、平成7年に富山に帰って来た。平成に入って級別廃止があり、日本酒業界には激震が走った、富山でもディスカウント販売が行われるようになった。当時、出荷量の3/4くらいが町の酒屋で販売されていたが、10年後の平成17年頃には半分くらいの酒屋がなくなり、27年頃には1/4になってしまった。




・高橋さんが先ほど協和発酵時代のお話をされたが、先輩に福井県黒龍の水野社長、2年後輩で茨城県来福の藤村社長が入社してきて、上をみても下をみても仕事に対し熱意のある蔵元がいて、協和発酵時代、肩身の狭い想いをしていた。酒蔵に生まれたものの、お酒に興味も熱意もセンスもない中、父の勧めで協和発酵に入社してしまった。先輩から仕事を親切に教えてもらったが、3年後に蔵に戻る際に、先輩方に「お前ほど、熱意もセンスもない蔵元は見たことがない。杜氏に酒を造ってもらい、酒造りはするな。」という言葉を「金言」として富山に帰った。

・蔵に戻った平成7年はお酒が売れない時代になっていた。私の想像を越える惨劇が富山で待っていた。父親には決算書を見せてもらえなかったが、大変なことになっているんだろうなと想像はついた。

・そんな状況の時に、取引銀行の応接間に呼び出されて、決算書を初めてみて、何点かおかしい点があると指摘されたため、持ち帰って検討しますと言った一方で、「ところで、御行からはいくらお金を借りていて、何年で返済しないといけないのでしょうか?」と聴いたところ、銀行から「そんなこともわかってないのか!」と一蹴された(涙)。その後、2年かかって会社の状況を把握したが、早ければ2年、長くても5年で蔵はなくなるのではないかといった状況だった。もっとも、蔵人は40台後半から50台の方がほとんどなので、年金が出るまで10年は頑張らないといけないと決意した。

・協和発酵時代の「金言」(自分で酒を造ってはいけない)があったので、新潟から杜氏をスカウトして来て、2、3年で賞を取るようになったが、抜本的に売上げが伸びなかった。
・そんな時に、北海道のコンサルの先生に蔵をみてもらったところ、これでは酒は売れないと言われた。先生から「なんで日本車が世界を席巻していると思うか」と問われ、「性能が良いから売れているからではないか」と返答したところ、「日本車はレース用から大衆車までどんな車に対しても最高の技術を落とし込んでいる。モノづくりに対する真剣さを海外の方が理解していて、冠たる地位を取れているのではないか。日本酒も同じではないか。羽根さんの蔵では1万円のお酒には1万円の造り方、5千円のお酒には5千円の造り方、2千円のお酒には2千円の造り方となっている。こんなことをしていたのでは人に何も伝わらないし、良いものはできないと思う。鑑評会で賞を取れる技術があるのであれば、すべてのお酒をトップの技術をもって造るべきではないか。」

・杜氏にこの話をしたら、「冗談は辞めてくれ。1年に1本か2本だからできるのであって、すべてのお酒に最高の造りをしたら身体が潰れる。蔵元がやりたいならどうぞやってください。」と(涙)

・自分も一瞬考えたが、杜氏に「原料処理を完璧に仕上げるので、最高の酒を造ってください」と申し上げ、それからは、新潟から派遣された者は使わずに、兄とアルバイトの3名だけで、朝飯5分、昼飯5分以外は米を洗い続けた。その年の造りが終わった後に、杜氏は12本くらい新潟に持ち帰り、地元で杜氏同士でお互いの蔵のお酒を飲み比べるそうなのだが、酒が劇的に変わり他の杜氏に褒められたのか定かではないが、翌年以降は手伝ってはくれないものの、何も言わなくなった。

・その時の新潟杜氏が引退後に、四国の杜氏、九州の杜氏、新潟の杜氏、黄桜の大吟醸のみ造っていた方に来てもらっていたが、平成22年から自分で酒造りを始めた。好きで入った仕事ではなかったが、雑念が消えて、思う存分酒を造ってみようと思った。

・一冬の酒造りが終わって、蔵の後片付けをしていたところ、瓶詰めの責任者からもう少ししかお酒が残っていないと言われ、お酒がないと返済金が入ってこないので、夏も酒を造ることにした。その際、10年前に獺祭・櫻井会長から「四季醸造は資金面、人材面で良い」と言われたことを思い出して、櫻井会長に電話して10年振りに蔵をみせてもらったが、今回も惜しげもなく蔵全体をみせてもらった。

・北海道のコンサルの先生を含め、素晴らしい先輩方に出会えて、今の自分があると思う。





1988年 製造石数5600石(1000kℓ)売上46500万円
    内訳 普通酒98%うち1.8ℓパック90% 特定名称酒2%(112石)
    蔵出し単価860円/1.8ℓあたり
1995年 製造石数4400石(1000kℓ)売上36600万円
    内訳 普通酒97%うち1.8ℓパック88% 特定名称酒3%(132石)
    蔵出し単価890円/1.8ℓあたり
2010年 製造石数311石(56kℓ)売上6400万円
    内訳 普通酒3%うち1.8ℓパック0% 特定名称酒97%(307石)
    蔵出し単価2060円/1.8ℓあたり




・日々感じていることは、北海道のコンサルに言われた「すべての酒造りにおいては気持ちを込めて酒を造る。想いを持って造っていれば、必ず人の心に響くものができるかもしれない」ということです。ご清聴ありがとうございました。



(続きまして久寿玉を醸している平瀬酒造店の平瀬さんです。平瀬さんは飛騨高山でお酒を造っていて、自分も富山から年に1、2度は高山を訪ねている。飲食店に入ると必ず久寿玉のメニューある。昔からの銘醸蔵です。平瀬さんよろしくお願いします。)


◆岐阜県「久寿玉」平瀬市兵衛さん(平瀬酒造店)


・協和発酵の仲間というご紹介だが、先にお話をされた御三方と蔵元の後継者という立場だったのに対し、私は酒屋の次男坊だったので、プラントエンジニアとして仕事をしていたのが接点。25年後に蔵に戻ることになったので、先輩方々より25年遅れていることになる。
今日は、ローカルな酒、「地酒」の魅力について話をしたい。

・日本酒は大手メーカー10社でシェア6割を占めている。当社は、酒蔵見学を旅行会社に任せているので、言語対応も英語、フランス、中国語など対応できる。海外の方は獺祭のような高級なお酒か大手の低価格のお酒を飲むケースが多いので、インバウンドの方は、この価格帯でこんな美味しいお酒を飲んだことはなかったとびっくりしているところを多々みる。


<プロフィール>
・1965年に高山市内の造り酒屋に平瀬酒造店の2男として生まれる
自然大好き(山遊び・川遊び)自転車、農機具も大好き

・1989年に東海大学工学部(動力機械工学科)を卒業、同年、協和発酵工業㈱入社(現 協和発酵キリン)
食品プラント・医薬品プラントの工場設備建設・保全の技術者
商品開発:日清食品(カップヌードル)向け卵の食感改良

・2007年に清水建設㈱入社しエンジニアリング事業本部
某醤油会社の充填工場+物流倉庫を設計

・2010年に蔵元の兄が他界し、平瀬酒造店15代目として高山に戻る
エンジニアなので、雪だるま製造する機械も作って、蔵の前を賑わしている




<飛騨の歴史>




・飛騨は日本の中心にあって、非常に山奥。東京に出てくるのに、日本の中で一番時間がかかるところ。北海道、九州に負ける。東京に出てくるのに4時間30分かかる。




・山国にありながら、文化・歴史に非常に富んだところがある。

▼ 縄文時代の遺跡が非常に多い(1万年前~8千年前)
▼ 両面宿儺の反乱(日本書紀 377年 仁徳天皇の将軍により討伐)
▼ 古墳時代 5世紀の古墳より大和朝廷の下賜品(鉄剣、鏡)発掘
 仁徳天皇陵と同じ造りの古墳が多数
▼ 奈良時代 高山に国府がおかれ、国分寺、国分尼寺建立
 大化の改新(645年)税の代わりに匠丁派遣 奈良造営
▼ 1135年 飛騨の守 平時輔朝臣 平家の領国
▼ 室町時代 北飛騨 国司の姉小路氏 江馬氏
 南飛騨 守護の京極氏 被官 三木氏 多賀氏

▼ 1585年 金森長近 三木氏を攻略(豊臣秀吉命)平定
―― 金森長近の「長」は織田信長からもらったもの。秀吉、家康に仕えた
▼ 金森時代 (1585~1692年 金森6代107年)
▼ 天領時代 (1692~1868年 25代177年)
▼ 明治時代 飛騨県→高山県→筑摩県(M4年)→岐阜県(M9年)
 製糸業全盛時代
▼ 大正時代 高山線建設(T6年~)
▼ 昭和時代 高山線開通(S9年)
 ディスカバー・ジャパン(S45年) 観光地発掘


<日本酒の歴史>
・300年前(1697年)には高山市に56蔵があったが、現在、7蔵になってしまった。
飛騨の酒蔵数
1697年(元禄10年) 高山市56軒、古川郷12軒、高原郷7軒
      萩原郷4軒、その他10軒 計89軒(981石)
1795年(寛政7年) 造り酒屋51軒(5,712石)
1900年(明治33年) 造り酒屋28軒(10,595石)
1902年(明治35年) 飛騨酒造組合発足 組合員34名
2019年(平成31年) 造り酒屋12場 (高山市7場 飛騨市3場、下呂市2場)


・酒蔵の役割は、日本酒として神への献上品であり、経済としては米価の安定を図るもの。高山経済はお酒を通じて発展した。


酒蔵の役割
 日本酒として  神への献上品、娯楽品(税金対象)
 経済として   米価の安定(備蓄米でのお酒造り)、保存性がお米より良い
        飛騨の商人は副業でお酒を造り財を成した。旦那衆→飛騨文化
 飛騨はお酒を通じて経済発展   酒蔵は飛騨を支えた地場産業



<日本酒が動かした高山経済>



・高山は山間部にある。お米ができたりできなかったりということで不安定な経済にあるが、それを安定させたのが豪商である。豪商は旦那衆と呼ばれた。私の祖父を「旦那衆」で使わせてもらった(笑)。

・飢饉が来ると4,5倍の値段になる。そのために、備蓄米を持っていて、飢饉がこなければお酒にする。豊作の年は、通常、米価が下落して農民が儲かることはないが、飛騨では豪商と農民が米価一定の約束をする。農民はモチベーションが上がり、どんどんお米を作り、余剰米でお酒を造る。借金を返せるし贅沢もできる。豪農となり大きな家に住んでいた。旦那衆が儲けたお金で、高山祭りの屋台、神社仏閣、街並みが整備される。富山県の魚も一番高く買い付けたのも飛騨高山で、ブリ街道といわれるルートができた。


<飛騨の酒本主義経済>
・飛騨では、祭り事、火事見舞い、除雪の御礼、草刈、葬式の都度、お酒を持っていくことから、「酒本主義経済」といわれている。



<平瀬酒造店の歴史>
・初代から3代は薬屋や雑貨屋といった副業的な仕事をしていたが、4代目からお酒を専業とした。商品名は「老松」、「住の江」であったが、他社の商標登録で取られてしまったため、薬屋の名残で「久寿玉」とした。


1623年 元和9年7月2日 菩提寺の過去帳に初代の記録有り
1730年頃 5代目より市兵衛を名乗る
1888年頃 屋号は丸一屋 商品名は老松、住の江(明治21年商工技芸飛騨の便覧)



1913年 大正2年 地域火災により蔵を残して全焼
1915年 大正4年 建物再建
現在 明治後期より商品名『久寿玉正宗』(商標登録)
  現在の当主は15代目


<飛騨の酒>
・飛騨の酒とは、飛騨の水を用い、飛騨地域で醸されるお酒。『飛騨の酒』は、平成20年8月に地域団体商標登録済みである。

・飛騨の酒の特徴は、飲み口がやわらかく深みのある味わい。


1. 酒米 酒造好適米「ひだほまれ」農業試験場品種改良 優良米の生産

ーーひだほまれは、40年に品種改良されてきたお米で、岐阜県の酒蔵しか使えない。地元のお米の特徴は、苦味、渋みがあること。これがテロワールみたいな特徴のある味を作れる。

2. 水 濃飛流紋岩帯の水(井戸水、水道水) 硬度10の超軟水

―― 飛騨地方は非常に堅い岩盤に覆われているので、地下に浸水した水ではない。

3. 気候 厳冬の気候 寒造りがお酒の旨さを引き出す

―― 通常の地域では、冷しながら発酵させるが、蔵の温度が2℃まで冷えるので、冷す必要がなく、逆に、お湯をぶち込んだりするなど、温めてあげる必要がある。温度変化が激しくコントロールが難しい地域なので、飲み口がやわらかく深みのある味わいになる。


・地酒とは、その土地、その土地の味があり、違いが出てくるもので、独特な個性が出てきて、その土地の文化を伝えるもの



▼酒蔵には古い大きな「建物や歴史」が残っている

▼酒蔵には日本の「伝統技術」が残っている

▼酒蔵にはその「土地の味」を残している

▼地酒は「地産商品」である

 生産農家のお米→お酒造り→地元消費

 お米の生産者の笑顔が消費者に届く、地元愛のある商品(安心安全商品)


・地酒は、その土地に行って飲んでほしい。


<インバウンドから見る地酒>
・海外の方を受けいれているが、第一印象は地酒がめちゃめちゃおいしいと言う。そして、輸出しないのか、いくらするのか
・輸出品の価格は日本の価格の3倍になる。例えば、地酒1,500円が4,500円、大手メーカーの酒1,000円が3,000円になる。そうするとバイヤーからお酒の値段を下げろといわれるので、当社のようなメーカーは輸出を放棄することとなる。結果、海外では獺祭のように高い日本酒か大手メーカーの安い日本酒となり、中間体のお酒がない。

・一方で、日本ではいろいろな日本酒の味に出会え、感動してくれる。しかも価格は1/3と安い。物の価値は人の心を動かす力があり、現地で体験すると、それが旅の魅力になるので、輸出どうのこうのといった話は出なくなり、「また来ます」と言って帰る。

・ワインを知りたいのなら現地へ行けというように、日本酒を知りたいのなら日本に来なさいということ。そこが重要と思う。


<日本酒雑学>

・覚える必要はないが、知っていると役に立つかもしれない。




<高山酒民憲章>



<日本酒からできる調味料>





<高山に行こう>

・飛騨はグルメ王国でもあり、ものづくり文化も素晴らしい地域です。
ぜひ、久寿玉で乾杯してほしい。

そして、ぜひ高山に行こう!




◆〆の言葉(「初花」高橋巌さん)

・飯沼さん、羽根さん、平瀬さん、お忙しい中ご参集してくれてありがとうございました。私自身も30年前ご一緒した仲間で、こんな形でお会いできて感無量です。

・4蔵ともに、それぞれの違いがあって、美味しいお酒があって、それぞれの個性を生かしていければ良いと思う。

・ご参加の方々におかれましては、これからもこれまで以上に、4蔵のお酒を中心に飲んでいただければ幸いです。

本日はありがとうございました!


◆最後はみんなで集合写真

毎回、恒例の集合写真です。ハイブリッド形式でしたので、現地参加の方とオンライン参加の方、ご一緒に!!



◆まとめ

・さすが、僕たち4蔵 協和発酵チームでした。和気藹々の楽しい120分でした。この後も、同窓会は続くのでした。

また、兜LIVE! でお待ちしております!



<KABUTO ONEアトリウムにある赤石にて、次回の再会を祈願!>



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